年下男性をドキッとさせる年上女性のしぐさ9パターン
最近は、「年上が好き」という男性も少なくありません。では、年下男性は、年上女性のどんな部分にドキッ..........≪続きを読む≫


ということでブエナビスタ橋本クラブです。

今日はほんとどうでも良い事ですので悪しからず。



みなさんまずはこの記事の①を見てから私のブログを

覗いてみてくださいね。


いや~この記事の①をみてて思ったんですが、

こんなことあるのって

AVの「年上のお姉さん」系の冒頭のシーンくらいじゃないですかね?

だってそうでしょ!!

こんなこと年上のお姉さんでしかも上司にやられたら

一発で好きになっちゃうでしょ!!

しかも仕事してるときですよ?!

ドキッとさせるじゃ済まないですよね?!

その日、一日前屈みじゃないと歩けないんじゃないですか??


それこそ本当にこんなことAVや痴女以外で

サラッとやるお姉さんがいたら

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惚れてまうやろ~~!!

ですよ。


んでまぁ何がいいたいかって言うと

やっぱり女は怖い

ってことですね。


p.s地元のお祭りが無事終わりました。
こんばんは、ブエナビスタ橋本クラブです

さっきやってたアルマゲドン見ちゃいました

すごかったですね~宇宙いってからはピンチと奇跡の連続で、そしてなんでも奇跡で解決しちゃってましたからね~

そんで思ったんですが最後シャトル帰って来たとき車輪がでない~!とかなんとかいってまたピンチになってまた奇跡起こして引っ張れば一時間くらいいけたんじゃないですかね?
ほら良く言うじゃないですか、家につくまでがホニャララだって

そこまですれば、ちゃんとしたコメディとして見れたんじゃないですかね~

やるならとことんやってほしかったなぁ~あっと

こんばんは、ブエナビスタ橋本クラブです。

いきなりなんですがタイトルにもありますように、
皆さん何かに
殺意
を抱いた事ってありますか。

私はありますね。


「おいおい、ブエナビスタ橋本クラブやべぇ~人なんじゃないの!?」


って思われた方、ご安心ください。
あくまでジョークですよ、ジョーク、ジョーク。
ほんっとジョークですからね。わかりますよね?

とまぁこれくらいにして、
何に対して私が殺意を抱いたかって言うと
それは
YAWARA
なんです。

ここでこの言葉を聞いて分かれると思うのですが、
浦沢直樹原作の「YAWARA」

谷(田村)亮子の「YAWARA」
みなさんどちらを最初に想像しましたか。
これは、どちらを先に知っていたかで違うんですが、
まぁどちらもとかどっちかだけとか
ですよね。

私は谷の方のYAWARAだけを最初知っていて
漫画の方、というか本物のほうのYAWARAを
知らなかったんですね。
なんとなくは知っていたんですが
どんな主人公でどんなストーリーか知りませんでした。

それで機会があって最近漫画のほうを読んだんです。

そのときですよ、殺意を覚えたのは。

あれですよ、絶対に谷さんが自分から
「私の事YAWARAって呼んでね」
っていったんじゃないんだと思いますよ。
周りがはやし立てて呼んでたんだと思いますよ。
というか、そうじゃなかったらもうね、それこそなんですが、

でも、私はそうとわかっていながら
わき上がる殺意を押さえる事はできませんでした。


だってもう天と地との差じゃないですか、
ビックリしましたよ。
それに本物のほう(ややこしいですが本物の方とは漫画の方のYAWARA)の
YAWARAは絶対に参議院議員なんかに参議院議員なんかに参議院議員なんかにに立候補しませんよ。

まぁ谷さんもここまで違うのに言われてしまって
少しかわいそうな気もしますが、、、

私が行き場のない殺意を向ける矛先は
きっと谷さんをYAWARAと呼び始めた人なんでしょうが
でもやっぱりYAWARAとは全然違うんだから
はっきり否定しろ!
って漫画を読んで思いましたとさ。

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こんにちは、ブエナビスタ橋本クラブです。

今日はこの前気がついたこと書きます。


みなさん本屋さんにいきますか??
それは行きますよね、
私はそんなに買いはしませんが頻繁にいくんです。
なんか本屋でダラダラしているのが好きなんです。

本屋は意外と雰囲気が落ち着いているし
照明も落ち着いているし
内装もシンプルでおしゃれですし
なんか良い感じに便意をもよおすし
ほんとに何もせず一時間弱徘徊してるんです。

そんな楽しみ方もあると思うので、
皆さんもお暇でしたらぜひどうぞ。
おすすめは神保町にある三省堂です。
あそこで本を買うでもなし、探すでもなし、立ち読みするでもなし
徘徊している人がいたら
それは私、ブエナビスタ橋本クラブです。


とまぁそんなこんなで、たまには本を買うんですね。
そして本を買うと、店員さんにこんなことを聞かれるんですね。
「カバーおかけいたしますか?」

私はこれ聞かれて違和感を覚えるんですね。
そして私は思うのです、
もうカバー掛かってんじゃん
って。

どうですか皆さん。
カバーオンカバーですよ?
なんか変じゃないですか?
本についてるカバーって
本体を傷つけないようにするために
付いているんですよね。
それをさらにカバーしちゃうって
どんだけ大切に扱ってるんですかね。

まぁ傷つけたくないってだけじゃなくて
どんな本読んでるか知られたくない
店側の宣伝になる
カバーなくしちゃった
っていう理由もあるのかもしれません。

でも過剰に心配するときってだいたい
何らかの弊害の方が大きいと思うんですよね。
例えばコンドームを例にとってお話ししましょう。

ある男がコンドーム一枚で自分のナニーを
カバーするだけじゃいろいろ不安だから
もう一枚かぶせてカバーしたんですね。
そうすればいろいろ完全に防げるだろうと考えて。
でも実際は厚すぎて気持ちよくないわ、
二枚の摩擦で結局破れるわ
それで中に出しちゃうわ
ちぎれたのが中に残るわ
もう最悪だったんですね。

本の場合はどうでしょう。
本の場合は
デザイナー、装丁作家、さらに装丁を撮るカメラマンの
デザインが見えなくなる、
本は中身だけではなく装丁も込みで見て初めて一つの作品(装丁が良かろうと悪かろうと)、
何の本を読んでいるのか希薄になる、
っていう事があるんではないでしょうか。

意識ではそう思っていないかもしれませんが
私はどこかカバーにカバーをかけて読むと
何かが欠けてしまうような、
そんな感じを受けてしまいます。

帽子の上に帽子をかぶる
はて、私は一体ナニを守っているんだっけ。


何の気なしに付けていたカバーのカバー
でもカバーがついているんだから
汚れたって良いじゃない、
破れたって良いじゃない、
恥ずかしくたって良いじゃない、
せっかくの大切な事を見逃してまでカバーオンカバーするより
私は一つの作品として本をちゃんと読んでみたい。


さて、皆さんはどうでしょう。

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『jojo the book』 原作:荒木飛呂彦 著者:乙一

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『反アート入門』著者: 椹木 野衣

ブエナビスタ橋本クラブのブログ
『人間そっくり』著者:安部公房

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『パン屋再襲撃』著者:村上春樹
どうもこんにちは、ブエナビスタ橋本クラブです。


みなさん、学校が始まりました。

私の学校は昨日から学校が始まりまして

久しぶりに学校に行ったんですね。



暑かったですね~

私の学校は駅から長い坂を下って今度は

長い坂を上ってようやくたどり着くんですね。

なので学校の入り口につく頃には汗だくになって

このまま図書館で涼みながら映画でも見ちゃおっかな~

という誘惑に負けて、一日図書館で映画を見ちゃう

駄目な一日を過ごす事もままあったりなんですね。

しかしその日は誘惑にも負けずいようと決心していたので(初日ですし)

大丈夫。


しかし、学校についたからと行って安心しては行けません。

私の学校は山の途中に作られているので

学校の中でも上ったり下ったりしなければなりません。

授業がある度に上がったり下がったり

教室移動だけでもアゲアゲになったりサゲサゲになったり

感情(心臓の鼓動)が激しく動きます。


その日は授業が一つしかなかったのでなんなくこなし

用事を済ませに一番高い所にある棟に移動。

ちなみに一番低い所(北駐輪場)から一番高い所(共通教育センター4階)

の高低差は8階から10階分らしいです。坂と階段のみでです、疲れます。

ようやくたどり着いてハァハァしていたらドアに張り紙が、読んでみると

「授業が始まる4日前にこの建物が新しい耐震基準に

達してなかった事がわかったので授業はここでは

授業受けられない事になりました、一週間休講です。」

「学校は何してんだ!!

職務怠慢じゃね~か!!

必要のないばかでかい集塵機付けてるから

こんなことになるんだよ!

バカヤロー!?


と、うつむきながらハァハァしながら

心の中で思って、そのままゆっくり

帰っていきました。


だから言ったじゃないですか、

学校に着いたからと言って安心しては駄目だって、

みなさん長期休暇明けは何があるかわからないので気をつけましょうね。

こんばんは、ブエナビスタ橋本クラブです。
今日はこの間読んだ本の紹介です。


筒井康隆さんの自選ファンタジー傑作集
「ヨッパ谷への降下」
です。
この本自体は平成18年に出版された文庫なのですが、
短編集なので中に書かれた物語は年代はバラバラです。
古いもので昭和43年のもの、新しいもので平成4年のもの。
その中で昭和62年2月号の小説新潮にのった
「薬菜飯店」
という物語が目に留まりました。
あらすじはこうです。



ある中華料理好きの男が、路地裏にある中華料理屋
にふらっと立ち寄るところから始まります。
メニューを見ると漢字で書かれて読めないが
どうやら薬膳料理らしいということで
最近体の調子もよろしくないし、中華は好きだし
腹も減ったということでその店に入ることに。

中に入る「いらしゃあ~い」と~アルヨなまりの中国娘と
どじょう髭の太った初老の主人。

その初老の主人の家系は代々中国皇帝に仕える
「食医」という料理で病気を治す人だったそうな。
それを何十年も世界を旅して色んな薬草や珍味を研究し
日本人向けに改良して
美味しい+体に良い
ってゆう料理を開発したそうです。

それでその男が体の悪いところをひとしきり言うと初老の主人は
料理を作りに厨房へ。
そして出された料理を食べることに
すると、目に効く料理を食べると鼻から尋常じゃないほどの
血膿がどろりっとでて、出終わってみるとなんと目の奥の重くモヤモヤしていた物が
スカッとさわやか&爽快感
にかわるんですね。

そして驚いている所へ主人が次々に料理を持ってきて
食べてはゲロをはいたり、うんこをだしたり
いろんな物が大量に出て行き、男はすっかり体の調子を良くしていく。
そして、驚きと戸惑いを感じながらで帰っていく
っていうちょっと不思議なこれだけの話なんです。

食べ物の描写を読んでいると実際に
目の前にあるのかのごとく頭で創造してしまうほど
描写がうまくて
ヨダレ、ズビッ!!
って感じなんですね~、
が!
前置きが長くなりましたがここからが
実は私の言いたかった事なんです。



ある漫画のファンの方ならもう
お気づきの方もいるのではないでしょうか?
そうなんです、「ジョジョの奇妙な冒険」の33巻に出でくる
「イタリア料理を食べにいこう」のくだりとほとんど一緒なんですね。
たぶんジョジョの作者である荒木先生は
この話を読んであの話を作り直したんじゃないでしょうかね?

ジョジョの方では億泰という青年がイタリア人の作る
イタリア料理を食べて(実はイタリア人はスタンド使いだった)
有り得なほど肩から垢がでたり
涙が滝のようにでたり
内蔵ぶちまけたり
そんで、そのあと同じように体が軽くなったり調子が良くなったり、
「食べる→異常に老廃物がでる→めちゃ健康になる」
っていう構図が全く一緒なんですね。




何がいいたいかって言うと
ともすればこれはパクリっていわれてもしかたないですよね。
でも、私は思うんですがオリジナルを超える新しい何かがそこにあれば
もうそれは著作権云々の問題は
あるのかもしれないにしろ
それで良いのではないでしょうか?ってことです。

良し、と思わさせるのは
オリジナルを超えると何かがあればと言いましたが
ジョジョを読んでいて荒木先生の情熱が
漫画から伝わる所なのかもしれません。

それは、料理の描写が
ほんっとに食べたくなるように美味しそうに
描かれている事、
料理の説明、設定がなんとなくではなくしっかりしている事、
筒井先生の描写以上にグロテスクな描写、
しかし、その後に来る爽快感がやはりそれ以上に爽快、
それらすべてから本物以上の物を作ろう、
そこに失敗すればパクリという烙印を押される
というリスクを負いながらも
億泰をテンパらせてまで伝えたい物がある、
という荒木先生の情熱から来ているように感じます。

そしてその後に残る物は
なんだこれ、パクリじゃん
ってゆうチープな感想ではなく
読者に新しい感覚の風を体験させてくれることでしょう。




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前回の続きです。
前の所から見ていただけるとわかりやすい
というかみないとわからなので
見てみてください。


まず、美術の考え方、見方っていうのは
一定じゃないんですね。
それを小・中・高の美術教育はなぜだか一定の見方しか教えない。
いわゆる「キレイ」ってやつです。
でもその見方だと100年たっても、そのものの持つ
意味や面白さに届かない。

ましてや、旧来の美術でさえしっかり時代背景や
なぜこのモチーフが選ばれたのかを勉強、理解していないと
よくわからないんですね。
でも旧来の美術はそのものだけでも
十分「絵」としての美しさやテクニック等
見所があったため見れてしまうんですね。
(そのためここでもう一つ誤解が生まれてしまう)

なのにいつの間にか
「美しい、良い形のものをつくる」
としか教えないようになった。

先人の言葉を借りるなら
「スポーツはルールがあってそのルールを知っているから
見て、やって楽しいし、「すごい」「面白い」と理解できる。
ルールがなければただの無法地帯になってしまうだけ、
ルールがあるから楽しめる。
そして、美術にもルールがある。それを知らなければ
本当の意味で楽しむ事はできない。」
また別の先人は
「美術っていうのは人を差別する。マナー(ルールってことだと思います)
の解っていないものがその場を楽しめるはずない。
作品は容赦なく見ているものを差別してくる。」

それをどうでしょうか、今の美術教育はルールどころか
考え方を一定にするし、良くわからないまんまに
させているし
自分の首を自分で閉めている
としか思えない事をやっている。
なぜ小・中・高でスポーツはルールを
教えてくれたのに
美術は教えないのかしらん?

たぶん教えている先生もその教わった先生が
美術のことを良くわかってなかったんではないでしょうか。
そして、これと同じようによくわからないまま教わり
美術は感覚しか使わないもの、と思い込んでそれを
また生徒に同じように教えているのではないでしょうか。
先生自体良くわからないまま教えて、
また生徒はわからないままになってしまう。

そして美術をやらない人、興味がない人ははそこで、
ほとんど美術と触れ合う機会はないし
訳が分からないものとしてあつかいをするじゃないかしら。
大多数の人が普段美術と接することなんかないので
「わからない」ままでも別に差し支えないし
それでおしまいになってしまう。



つまり土台を作るための最初の美術教育で
教える側がすでに間違えている。
そうすると美術をやらない人=社会
の受け止める土台と美術をやる人との
ギャップがかけ離れてしまって
「わからない」ということが
起きているんじゃないかなぁと思う。

この負の連鎖が下へ下へ(子ども達から子ども達へ)
といくことで社会全体も「わからない」
という雰囲気をつくり、より美術が
「わからない」
ものになっていく。




ん~まとまらん、ということで今回はこのくらいで、
続きはまた後ほど。
ん~考えを文章にまとめるって大変ですね。
評論家の人ってゴイスーですね。
こんにちは、ブエナビスタ橋本クラブです。


今回は私が好きな配色、雰囲気、リズム

の物をいろんなとこで

写真に収めたので

それを載せます。

なんでこんな事をするかって言うと

自分の好き嫌いを客観的に

見るためですね。

つまり見ている人はほんと関係ない

自慰行為みせられてるだけなんですね。

ほんとすんませんね。

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ん~なんかうさん臭くさいですね~
でもなんか見ちゃうし
実は結構夏の夜空にあってたりして
キレイだったりしますね。

ちねみに場所は北千住の飲屋街です。

この先にうまい立ち小料理が
あってバサラッブックスの方と
飲みに行ったときでした。


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当時のはやりの文字組(フォント)
だったみたいですね。

今私の世代では逆にあまり見ないので
真新しく見えて
とてもよい文字組に見えます。

ちなみに立ち小料理屋の隣の
アパートです。


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これは神保町の古本外で見つけた本の背表紙です。

この配色好きなんですよね。
ギラギラハレーション起こしているのに
色味がくすんでいるから
なんか元気がなく見える。

でもなんか
アングラな感じがして
私の知らないどこかへ
誘っているかのようで
わくわくします。


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浅草の演芸場の立て看板です。

これはヒットです。
私が子どもの頃の映画館の
でかい看板も毎回手描きで
描かれていたのですが
その絵は結構うまいんですね。

でもこの看板の絵は
うまいんだかヘタなんだか
わからない(うまいんですが)
絶妙なとこをついていて
人を不安にさせますね。

見て欲しいのか
欲しくないのか
どっちだよって感じですかね。

最近はもう手書きの看板は
見なくなったのですが
この間みつけてかなり興奮しました。


もし、手書きの看板まだ近くに
あるよっ
て方いらしたら是非教えてください。
見に行きます。
こんにちは、ブエナビスタ橋本クラブです。

先日行った展示の紹介。
銀座のソニー通り沿いにある駿河台画廊にて
「ワイルド・コンビネーション展」
を見に行きました。

内容は絵画のグループ展でした。
ん~正直ほとんどの作品は私から見て微妙でした、
なんか綺麗すぎて鼻についてしまいました。
あとほんとどうでも良かったのもありました。
でもその中で
ん~ニクいな~
と思える物もちろんあったのでその絵を紹介したいと思います。

まずは大田まりえさんの作品。

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すみません、写真の画質が悪すぎて
全然伝わらないです。

本当は薄い鉛筆で水面(のように見えた)の
揺らめいている様を、ただただ追っているというだけ
というものです。

一見、薄い色の鉛筆だけで主張してなくて
見落としそうになるのですが、よくよく見ると
ものすごい数の手数が入っている。
しかもその行為(ひたすらただ鉛筆で描いていく)は
泥臭い行為なのに
スッ
と目に入ってくる、

んでもって主張してないかと思ったら
その行為がものすごいアピールをしてくる。

無愛想なんだけどすごい良い仕事してくれる
職人さんみたいなそんな感じでした。

ちょっと残念だったのは作品が
ちっちゃかったことでした、
別にできないしやれないだろうけど
なんかこの大きさなら出来ちゃいそう
って感じで、スゴ味が足りな行って事ですかね??


次は岡島よしきさん

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カーブミラーに移るところだけ、
窓越しに見える中の様子だけ、
道路にかかれた標識だけを、
色んな角度で一つの画面に
いっぱい描いていました。

なんか良くわかんないけど
彼の中に確固たるルールがあって
それにのっとってなにかを証明したいんだな
って感じました。

まぁみんなそうなんでしょうけど
単純に見た目として楽しく、
でも自分のルールを作って
その中から外れずっていう
「バランス感覚の良さみたいな物」
を感じました。

これの残念だったのが
描いているものがみな同じ大きさで
せっかくいろんな方向から
いろんな角度でやっているんだから
遠近感も入って良いんじゃないかなぁ
ってのと
二枚目のやつが
どうしたいのかわかりにくかった

でも二枚目はなんか彼が違う事を
やろうとしているのか
チャレンジしているようにも
みえたので次の作品を
見てみたいと思いますね。


ってな感じで色々みてるんですが
嫌いな物をみても
まだなぜ自分がこの作品を嫌いなのか
よくわからないので
自分の中の価値基準ってのが
まだはっきり定まってないんだなぁ
と思ったりもしました。



こんばんは、ブエナビスタ橋本クラブです。


今日はまたまとまらない、頭のもやもやを
無理矢理出したいと思います。

なので無理に付き合ってもらわなくて結構です。
無理にとは言いませんが、付き合ってくれるって言うなら
お付き合いいたしますよ。っていうか
付き合ってください。


よく耳にする言葉で
「アートってよくわからないなぁ」
って言葉を聞くんですね。
私は一応アートと呼ばれるものに携わっていて
さらには将来美術の先生、アートスペースを作りたいって思う事から
「なんでわらないだけで終わってしまうのかな?」
ってよく考えるんです。
もちろん一見では解らない作品がたくさんあります。
というか、そんなんばっかです。
しかし、私の経験を通して一つ
「アートってよくわからないなぁ」で終わる原因は
こうなんじゃないかなぁ
って思う事があります。

ちょっと過激な発言になるんですが
よろしいでしょうか?それは

「子どもの頃からの美術教育が悪い」

です。
最初に誤解を解いておかなければならないのですが、
原因はこれだけではなくもっと複雑でどこが根幹かわからなく
また、私の言った事が全てではないし
もしかしたら正しくもないとも思います。
なので話半分で聞いてください、それだけ頭に入れておいてください。

それでは戻りますね。

皆さんは小学生・中学生・高校と
どんな美術の授業をしてこられました?
「さあ花や風景の絵を描こう」
「さあ友達や身近なものを粘土や木で作ろう」
っていう美術って事が多かったんじゃないでしょうか?
どうでしょうか?

たぶん、なんとなく感覚だけを
たよりに描いていませんでしたか?
それで描き終えても
大した講評や寸評などもらわずに
授業が終わってませんでしたか?

さらに先生は、いわゆるパッと見どこが良いのか
わからないピカソ、マティス、モネをやたらと
「すばらしいから見ておきなさい」
と言っていませんでしたか?
そんでその絵がどこが良いのか何が良いのか
教えてくれないままじゃなかったですか?

そして、だめ押しに現代美術や現代アートといった
さらに解りにくいものがどんどんでてきてしまって
わけがわからなくなる。

そうなるともう、何がよくて何がだめだか
また、どうすればうまくなるか
わからずに小学校・中学校・高校、さらには今現在と
続いてきてませんか?


この美術教育の流れの中に今日、日本における
「美術をやる人」
「美術をやらない人」
「美術を教える人」
それぞれで別々の問題が深く根付いているんじゃないかな
って私は思うんですね。

単純に
それぞれを、それぞれに、それぞれが誤解し合ったまま来ちゃってる


ってことだと思います。



ってとこで、今回は一回締めて、続きはまた後ほど