○身を縮め声をひそめど足触るる 避難の先も難続くだけ
人間の想定を超えた地震や津波という天災の猛威の前では、なす術もなく逃げ惑うばかり。
避難所で身を寄せ合って大自然の落ち着きを待つしかない。
それに加えて人災とも言うべき原発事故への対応の長期化で、避難生活も長引かざるをえない。
誰しも非常時だからと自分を抑制し、なんとか全体の調和を保とうと自己を律する日々が続く。
だが忍耐力にも限度がある。
こんな日々がいつまで続くのか。この先どうなるのか。ただ不安と焦燥だけが・・・
○身を縮め声をひそめど足触るる 避難の先も難続くだけ
人間の想定を超えた地震や津波という天災の猛威の前では、なす術もなく逃げ惑うばかり。
避難所で身を寄せ合って大自然の落ち着きを待つしかない。
それに加えて人災とも言うべき原発事故への対応の長期化で、避難生活も長引かざるをえない。
誰しも非常時だからと自分を抑制し、なんとか全体の調和を保とうと自己を律する日々が続く。
だが忍耐力にも限度がある。
こんな日々がいつまで続くのか。この先どうなるのか。ただ不安と焦燥だけが・・・
○何事も 亡き妻に聞き 日々生きる 姿見えねど 声聞こえねど
妻が平成16年3月に48歳で逝去して7年が過ぎ去った。
4月20日は30回目の結婚記念日だった。
妻は実在していないのだが、こころの中に常に現存しているかのようである。
朝起きてから、昼の間はもちろん、夜に寝るまで妻のことを思っている。
しかし、妻が生きている間は妻を見ていなかった・・・ 何故に。
会えなくなって初めて「愛する」ことが喜びであることがわかった。
会えているときは「愛される」ことばかりを欲していた。
○亡き妻が 植えし木蓮 三つ咲く 樹は細けれど 寒き風耐え
娘が三人居る。それぞれに顔立ちや恰好は違うのだが、やはりそれぞれ妻に似ている。
娘自身を見なければならないのだが、いつも娘の中の妻を見ようとしてしまう自分がいる。
娘たちには鬱陶しいことだろうが、どうしようもない煩悩具足の身だ。