「ムトアンク」
部屋を出て行く子供達の後姿を見送っていた少女がセトの呼びかけに視線を上げた。
この遊戯に似た少女の名はムトアンクという名らしい。
「セトさま」
少女は柔らかく微笑むと腕を伸ばし、その白魚のような指をセトの褐色の腕に沿わせた。
「抱き上げて、くれませんか?外の景色を、見たいのです」
「ああ」
セトはまるで重さを感じさせない動作でその細い身体を抱き上げると、妻であり子と民の母である少女を窓辺へと連れて行った。
「…ねえ、セトさま」
暫くの間、二人は何を言うでもなく眼下に広がる町並みと遠くに見える砂漠を眺めていたが、ぽつりと少女が夫を呼んだ。
「何だ」
「アテムとセトさまには、感謝してもしきれません」
「……」
「あの子がくれた八年は、わたしに多くの幸せを齎してくれた…あなたとの幸せ、子どもたちとの幸せ、民との幸せ…人として生きる、幸せ…」
「……」
「あなたが名をくれたから、わたしはわたしになり、邪神と共に眠るはずだったわたしをあの子が身代わりになってくれたからわたしの今は在る…」
「……ムトアンク」
それまで無言で少女の絹を紡ぐような柔らかな声を聴いていたセトがその名を呼んだ。
「はい、セトさま…」
「…いくな」
たった一言、抑揚の無い声。
けれどセトの全ての想いが詰まったその一言に少女は一瞬驚いたように眼を見開き、次の瞬間には花が綻ぶような笑みを浮かべてセトを見上げた。
「少し眠るだけです…ほんの星の瞬く間のこと…」
「……」
憮然とした様子の夫に少女はくすくすと笑い、やがてああ、と溜息を零すように囁く。
ふわり、と少女の身体を縁取るように淡い光が灯ったが、セトも少女もそれについては何も言わない。
「わたしはアテムとの<約束>を果たせただろうか…」
「<約束>?」
しかし少女はそれには応えず夫の名を愛しげに呼んだ。
「セトさま…ワガママを言ってもいいですか…?」
「今更だろう。言ってみろ」
光は少しずつ、けれど確実に少女を包み込んでいく。
「目が覚めたらまた、セトさまの御傍にいさせてくださいね…」
その言葉にセトは「当たり前だ」と目元を微かに和らげた。
「お前は私のものだ。何時如何なる時代もその髪の一筋、涙の一滴、零れる微笑みその全てが私のものなのだ。私からお前を奪うものはたとえそれが冥界の神であろうと赦しはしない。お前は私のものだ、ムトアンク」
「はい、セトさま…」
少女は幸せに満ち足りた笑顔を浮かべ、そして一層その強さを増した光に飲まれるようにして消えていった。
「…っ…」
セトはせめてその温もりだけでも逃したくないと言うように、掌をきつく握り締める。
しかし少女と共に光までもが消え去ると、窓辺に提げられた日除けのリネンが風に揺らぐ微かな音だけが、広い室内に響いた。
***
相変わらず見切り発進したままなので「あれ?この設定にしたんだっけ?え?結局この設定は没ったんだよな?あれ?ん?そもそもコイツなんでここにいるんだっけ?」などと脳内ぐるぐるさせながら書いてます。(爆)