いやあ昨夜はテンション上げるために「踊りませんか?眼鏡's」を車内音楽にしてバイトに行きました。
おかげで妙なテンションでした。(笑)
それにしても最近、考え事が過ぎるとすぐ偏頭痛にシフトするようになりました。
おかげでここ最近頭痛続きで倒れそう。(笑)
そんなスキルいらない。(爆)
今度病院行ったら痛み止めも貰うようにしよう。
さて、3月4日の夕方、私の大切な家族が天へと召されました。
このブログのプロフィ画像にも使ってる彼女です。
少し、彼女の話をしようかと思います。
多分これと、この後の火葬場での書き込みで彼女についての話は終わりです。
悲しい話はいつまでも引きずっても仕方ないしね。
次からはいつもどおりのテンションで行きます。
今だけ、しんみりした雰囲気にお付き合いください。
約十五年前、私は彼女と出会いました。
まだほんのちいさな、小学生だった私の膝にすら収まってしまうほどの小ささの彼女は、シーズーの女の子。
私の家には私が生まれる前からずっと誰かしら犬がいて、もう何匹めかの子でした。
名前をお前がつけて良いよ、と言われたのですが、考えるよりも早く、「この子はリリィだ」と思ったのを今でも覚えています。直感というやつでしょうか。名前何にしようとか、全く考えませんでした。まるで彼女がそう名乗ったかのように、私は彼女の名前は「リリィ」だと思ってました。
ちなみに私はその名が百合ど同義であると知ったのはそれから数年後です。(笑)
彼女はいつも私と一緒でした。
本当は良くないのかもしれないけれど、寝るときは一緒の布団で眠ったし、何をするにも一緒でした。
そうなると当然、布団の上で用を足されたことも数知れずだったのですが。気付けばあの子は我慢することを覚え、そして終いには寝ている私を「トイレ行きたいから下ろせ」と言わんばかりに吼えてみたり前足で突いてみたりして起こすようになりました。
あれは私が高校生の頃だったか、あの子の子宮やその周辺の臓器が病魔に冒され子宮を摘出しました。
医者には後数日遅かったら死んでいた、と言われ、あの子が入院している間、家の中はがらんとしていました。
やがて元気になり、たびたび体調を崩しながらもそれでも心臓は強かったらしく、すぐにまた元気になって私たちと日々を暮らしてきました。
今から数年前。次第にあの子の目が見えなくなっていきました。
医者は嗅覚と聴力で補える、と言いましたがそれでもやはり最初の頃は歩くたびに壁や物にぶつかってばかりでした。そんなあの子を私は心配すれば良いのか笑えば良いのか、ぶつかるたびにびっくりした顔をするあの子に苦笑するばかりでした。
やがて視力のない生活にも慣れ、殆どぶつかる事も無くなって。
けれど今度は耳が聞こえなくなって。またぶつかりながら歩く日々が続いて。
それでもあの子は私の気配がするといつも身を起こして尻尾を振りました。見えない目で私を見上げ、私の手を待っていました。
だから私は歩く時は足音荒く歩くようになりました。
私の歩く振動で、あの子が私の位置を知ることが出来るように。
老いは確実に彼女に訪れていました。
元々大人しい子だった彼女は次第に出歩かなくなり、家の中に居ても寝ていることが多くなりました。
けれど食欲は旺盛で、排泄物も健康的でした。
そろそろかもね、なんて母と話しながらも、それでもそんな日はもっとずっと後の事で、こんなに近くまでその日が迫ってきていたなんて、認めようとしませんでした。
ある日、そう、今から一週間ほど前。突然食事の量が減りました。
更には食べても戻してしまうようになりました。
ちょっと体調を崩しただけだ。すぐにまた元気になる。今までだってそうだったんだから。
自分自身に言い聞かせるように自答し、けれど不安ばかりが募っていく。
そして三日前。とうとう一切食事を摂らなくなりました。
腹が立つくらいズバズバものを言っていた医者も、言葉少なく語りました。
そして私は漸く目の前に迫ってきているそれを認めました。希望は希望でしかないのだと、あの子が逝く前日に、漸く認めました。
その頃にはもう呼吸も不自然で、立つことも億劫そうでした。
そして昨日の昼。私は食事のため一旦家に帰ってきてました。
あの子を撫でて、話しかけて、それからご飯を食べて。
そして職場に戻る時、慌てていたので「行ってきます」をあの子に言い忘れてしまいました。
私はそれに車に乗った瞬間、思い出しました。
毎日の習慣だったので、やらないと何処か妙な感じがしました。
けれど私はたったの一分二分が惜しくて、そのまま車を発進させました。
そして夕方の五時丁度、母からメールが入りました。
あの子の死を知らせるメールでした。
脳裏に昼の事が甦りました。
たった一言、「行ってきます、待っててね」そう言って撫でてあげることが、今日に限って出来なかった。
たった一分か二分のことだったのに。もういつ終わりが来てもおかしくないって分かってたはずなのに。
なのに私はそれを見逃した。目の前に迫っているそれをわかったフリをして、心のどこかで「まだ大丈夫」と未来があるのだと思い込もうとしていた。甘く見ていた。
危うく職場で泣きかけ、けれど何とか耐えて帰宅するとダンボールの柩に収まったあの子を見て、ああ、死んでしまったのだな、と実感しました。
その体はもう既に冷えて固くなっていて。
私はきっとその冷えて固くなった体の感触をいつかは忘れてしまうでしょう。人である限り、生きていく限り、それは仕方の無いことです。人間の触感はそこまでドラマティックにもロマンティックにも出来ていませんから。
けれどこの記憶だけは、薄らぐことはあっても忘れ去ることは出来ないでしょう。
母が言いました。
死ぬ直前まで、あの子は窓辺で外を見ていたそうです。目も見えない耳も聞こえない、寧ろその命すらつきようという時に、あの子はじっと身を起こして外を見ていたそうです。
けれど母が部屋に戻って来た時、偶然かそれとも人の気配で安堵したのか、不意に首が傾き、そのままこてんと横になったそうです。不自然な倒れ方に母が駆け寄ると、あの子はそのまま息を引き取ったそうです。
あの子は死の直前までじっと窓辺に座り、外を見据えていた。
それは、私がいない時、私の帰りを待っている時のあの子の癖でした。
いつもは一撫でして仕事に行くことを告げてから行くはずの私が何も言わず出て行った事を、あの子は不思議に思っていたのでしょうか。
起きていることすら、息をすることすら億劫だったはずなのに、あの子は窓辺で何を思いながら座っていたのでしょう。
どうしようもなく涙が零れて、けれど零れた砂が巻き戻ることは無く。
ただあの子の柩の傍らで座り続けることしか出来ませんでした。
あの子は私の家族であり、妹でした。
またいつか、新しい子を迎える日が来るかもしれません。
けれど、あの子が私に与えてくれた日々に代わる日はきっともう訪れないでしょう。
それはあの子にしか作り出せないものであり、決して他と混同できるものではないのですから。
今まで本当にありがとう。
でもまださよならは言いません。
もう少しだけ、その言葉は封印しておくね。
長々と私の感傷と思い出話にお付き合いくださり、ありがとうございました。