夕暮れの公園のベンチに二つの影があった。
一人は一冊の本を開き、赤く染まった紙面に構う事無く文字に視線を滑らせていく。
そしてその傍らではそんな青年の肩に頭を預け、穏やかな寝息を立てる青年。
まるでそこだけが切り取られたかのように辺りはしんとしていて、聞こえるのは遠くからの雑音と、時折ページを捲る音が微かに響く程度だった。
区切りがついたのか、彼は栞を挟むと本を閉じ、傍らに置いた。
そして自分の肩に凭れ掛かっている頭に手を沿え、ゆっくりとずらしていく。
そのまま手を下ろしていくと頭の動きに従って体もこてりと横になり、今度は彼の膝の上に頭を預け、横になった。
普通なら目を覚ましそうなものだったが、しかし膝の上で寝息を立てる青年の眠りは深いのか、それとも余程気を抜いているのか、僅かな身じろきをしただけでその眠りが妨げられることは無かった。
「…貞治」
細く、しかし節くれ立った指先で彼は、柳蓮ニは己の膝の上で眠る青年、乾貞治の髪をやんわりと梳いた。
決して柔らかいとは言い難い乾の髪は、しかし柳には触り心地の良さを与えた。
「貞治、空が赤い」
柳は乾の髪を梳きながら空を見上げる。
もう少しすれば茜色はやがて紫を帯びていき、やがて夜闇へと変貌するだろう。
「あの日以来、見上げる空は全く違ったものに見えていた。一度とて同じ空は廻ってこなかった。だが、貞治」
柳は髪を梳く手を止め、今度は乾の放り出された片手を手に取った。
「今は、同じに見える。あの日、お前と過した夕暮れと同じ色に。そう、とても鮮やかに」
その手を引き寄せ、己より細い指にそっと唇を寄せる。
「けれど貞治、お前にはもう、見えないのだったな」
幼い頃からトレードマークだった分厚い黒縁眼鏡が彼の目元から姿を消して久しい。
「見えなくとも良い。お前は俺が触れるこの感触と俺との記憶だけを糧に生きていけばいい。暗闇の中で俺だけを求め、朽ちてゆけば良い」
手を戻し、今度は乾の首筋に指を滑らす。
日の当たりにくい首筋はただでさえ白い乾の肌の白さを一層際立たせていた。
柳は指先で目的の場所を探り出すと、ほんの少し指先に力を入れる。
とくりと指先に伝わってくる命の鼓動。
ここにあと少し力を加えるだけで人の意識は簡単に暗転する。
そしてこの首を手で握り込むだけで気管は塞がり、呼吸が止まってやがて鼓動は止まる。
今、貞治の命は己の指先にかかっている。
そう思うと全身を微電流のような悦びが駆け巡っていく。
「安心しろ、貞治。お前が死ぬのを見届けたら俺も後を追おう。あの世などというものは信じてはいないが、万一の事があるからな」
例えば、生命に魂というものが本当に存在するのならば。
乾貞治という魂は当然自分のものであるべきだったし、その輝き光一粒すら自由になどさせはしない。
死んだとしてもお前を自由にしたりなんてしない。
生死など大した問題ではないのだ。
貞治、お前が生きているのなら俺も生きよう。お前が死ぬのなら俺もこの命を絶とう。
そして輪廻の輪などに加わらず、ただひたすらに俺はお前を支配し続けよう。
「貞治」
囁いて柳は再び乾の髪を梳き始める。
「お前のその愚かで浅はかで幼稚な願いを、俺は叶え続けよう、貞治」
俺との思い出に縋り続けるお前の姿が、何よりも愛しい。
***
多分連載の柳EDその後だと思います。(曖昧)