今日は職場でちょっと寂しいことがありました。
うちのプールにはHC(ハンディキャップ)クラスというのがありまして、身体障害者の子供のクラスがあります。
今日、そのHCCと、選手コースの子の授業が一緒の時間にありました。
泳いでる間はコースが違うのでお互い無関係ですが、サウナとなれば話は別です。
選手コースの子達とHCCの子達が同じくらいの時間にサウナに入りました。
するとHCCの子供が選手コースの子達のところに寄っていって、選手コースの子の帽子を被ってみたり、セイムタオルの入っているケースを齧ってみたりしてました。
選手コースの子達は苦笑交じりに対応していましたが、やがて親が呼びに来たのでHCCの子は出て行きました。
途端、選手コースの子達がやれやれといった表情になり、「マジ勘弁」「最悪」とかそんな雰囲気でした。
小さな子が、無邪気にじゃれ付いてくるのはそんなにいけないことでしょうか。
その子がいる時も、生徒さんによっては近付かれるのも嫌そうな雰囲気を滲ませている子もいました。
ただ単に小さい子が嫌い、または苦手なだけかもしれません。
けれど、もしあの子が健常者だったらその生徒さんは同じ態度をとったのでしょうか。
確かにHCCの子の中には見るからに、という顔つきの子もいます。
けれどだからといってそれが何の関係があるのでしょうか。
健常者だとか身体障害者だとかそんなカテゴリは関係なく、子供というものは無邪気で時には小癪で生意気で、けれど憎めない可愛らしさを持つ、労わるべき存在です。
それをあんな冷たい、というよりはもう卑下しているとも言える視線で見るというのはどういう了見なのか。
帽子ぐらい被らせてあげればいいし、ケースを多少齧られたからと言って目くじら立てるほどの事でもないと思います。
こういう雰囲気は、高校時代にもよく感じてました。
私の通っていた高校は、すぐ近くに養護学校があって、駅までのバスにはいつも養護学校の子と一緒でした。
私自身は小学校の頃からの仲の良い子の中に養護教室の子がいたので、そういう子達に対する偏見とかは全くありませんでした。
しかし高校では決して少なくはない人たちが養護学校の子達を疎んじていました。
「身体障害者」を略して「シンショー」と呼び、睥睨していました。
正直な話、郷に入りては~というわけではありませんが、私も彼らの事を「シンショー」呼ばわりしていましたし、周りが囃し立てればそれにのっかかっていました。
彼らを庇うことで周りの反感を買いたくなかったのです。
けれど、彼らだってこちらの言っている事をきちんと理解している子達だってたくさんいます。
毎日の駅~学校間の約十五分。
彼らはどんな気持ちで私たちと同じバスに乗っていたのでしょうか。
今日、彼女たちの態度と視線でそれを思い出し、何とも寂しい気分になりました。
あの頃の私たちは、他の人から見ればこんなに見苦しいものだったのだな、と実感しました。
彼女たちはあの頃の私より若い年齢だと思います。(恐らく小学校高学年~中学生)
だから今はまだ理解できないのは仕方ないと、妥協せざるを得ないのかもしれないのかもしれません。
けれどやっぱり、そういうのは寂しいなあ、と。
思ったのでした。
突然シリアスですみません;;