超知能ユートピア論を読む。
先日の日経新聞の特集記事の最終回。超知能ユートピア論を読む。オックスフォード元教授ニック・ボストロム氏の「ディープユートピア」構想を紹介する記事だが、あまりに楽観的だと言わざるを得ない。第一に、この種の言説は「完全自動化が労働から人類を解放する」というケインズ以来の反復であり、生産力の発展が自動的に分配問題を解決するという保証は歴史上一度もなかった。60年代の自動化パニックも、結局は労働分配率の低下という形で「解決」された。第二に、記事には所有論・分配論が完全に欠落している。誰が計算資源とデータを所有するかという問いを素通りしたまま、「何のために生きるか」という実存論に飛躍する。これは目の前の集中と収奪から目を逸らさせる、方法論的な脱政治化である。第三に、超知能が「あらゆる欠乏」を解決するという想定自体、財の一次元(使用価値)しか見ていない。地位財の相対的希少性は物理法則的に消えない。むしろ新しい価値(意味・体験・卓越性)の生産こそ、デジタル地代の新たなフロンティアになるだろう。そして経済理論的に見れば、生きた労働からしか剰余価値は生まれない以上、データセンターという死んだ労働の巨大化は利潤率の傾向的低下を招く。デジタル地代の肥大化は、AI資本主義の健全さの証ではなく、生産過程内部での利潤形成能力が構造的に枯渇しつつあることの症状と読むべきだ。予言者と商品化の主体が一致するとき、ユートピア論は思考 実験ではなく、現在の資本蓄積を正当化する装置になる。