エピローグ──虚構の上に立つ者として
虚構の上に立つ者として 結局のところ、我々は虚構の上に立っている。問題はそこから逃れることではなく、どのようにその虚構を自らの足場として意識的に選び取るかである。国家も伝統も制度も、記憶と選択の集積としてしか成り立たない。だが、その集積が一度「自然」と見なされた瞬間、人はそれを疑うことすら忘れる。私たちが「日本」と呼ぶものは、ひとつの装置であり、語りの体系であり、記録と削除の技術である。その装置の作用を忘れたとき、我々は自らの夢を現実と誤認し、歴史を夢の延長として生きはじめる。 それでも、虚構の上に立つことをやめることはできない。むしろ必要なのは、その虚構の構造を凝視し、そこに自らの位置を刻むことである。伝統を切断し、虚構を批判するとは、夢を壊すことではない。夢の構造を知り、そこに潜む他者の声を聴くための行為である。 虚構を暴きながらも、なおその上に立ち続ける――その緊張こそが、思考の倫理であり、現代における「日本」という制度的夢への唯一の応答である。