江戸時代(旧暦では)、6月1日は「山開き」の日でした。
特に富士山は江戸からも良く見えましたし、その美しさと
荘厳さとも相俟って信仰(富士信仰)の対象でした。
しかし、一般庶民にとって実際に富士山に参拝するのは
金銭的にも体力的にも困難なことでした。
また、当時富士山は女人禁制の山でもあったことから
近くで誰でも(女性も)簡単に登ることのできる富士塚が
江戸の各所に造られました。富士信仰の最盛期である江戸中期
には約60もの富士塚がありました。
浮世絵にも江戸の名所として描かれました。
「名所江戸百景 目黒新富士」 歌川広重
「江戸自慢三十六興 鉄砲洲いなりふじ詣」歌川広重/歌川豊国
「名所江戸百景 深川八まん山びら紀」 歌川広重
図会にも描かれました。
「江戸名所図会 千駄ヶ谷八幡宮」
「東都歳時記 富賀岡富士参」
「江戸名所図会 駒込富士浅間社」
山開きの日は前日から大賑わいでした。
「江戸名所図会 駒込 富士詣」
「東都歳時記」には駒込富士の山開きについて次このように
書かれています。
“ 富士参 前日、五月晦日より群集す 是富士禅定の
心とぞ 駿河国富士山は、常に雪ありて登ることを
得ず 故に、炎暑の時を待て登山す これにならひ
今日参詣するなり “
つづく







