学生時代 法社会学の授業を受けたとき、日本は少しずつ、「法化社会」へと移行しつつあるというような内容のことを学習した記憶があります。

 ほかのどんな授業よりも、この講義が一番面白かったです。

 「法化社会」とは、アメリカ合衆国などが当時典型的な例としてあげられていました。電子レンジで火傷したのは、事前にメーカー側が説明責任を果たしてなかったからだ…だから訴訟を起こすなどということが日常化している状態。これが極端な「法化社会」です。

 一方、日本の共同体的な村社会では、法律以外にもたくさんの解決方法が準備されていたというのです。
 例えば 大岡越前守というような人が「喧嘩両成敗」などというような解決方法を提示したりしています。他にもいろいろな問題解決方法があったそうです。
 一方、日本には、司法・行政・立法の三権分立の仕組みがあったとしても、司法の仕組みが利用されることは非常にまれなこと…
裁判といえば大きな刑事事件に限られていました。


 法曹一元とか、弁護士や公認会計士の増員という議論はこうした非法化社会を変えるために議論がはじまったと思います。

 日本にも 法律が無数に存在します。しかし、法律の多くは行政法規的なものが多く、お上から国民へ 発せられるものが多いんですよね。

 紛争解決に司法の場が使われることはめったにない。調停とか審判所などが前置きされてることが多いですよね。裁判があまり普及しない。

 そこで裁判員制度ができたんでしょうね。より裁判が身近になるように。

 最近、仕事をしていて、世の中はどんどん法化していることを実感します。

 訴訟なども非常に増えていますし、法律的な問題解決ということもニーズとして強く感じます。十年前に受けた授業の話と同じような状況が現実的におきはじめていると実感します。
 あと十年後はどうでしょうか?
 
 法律はときに、非常に便利です。前もってちゃんとルールが決まってるから、僕達はある程度予測してものごとをすすめることができます。
 ただし、ときに法律は残酷です。どうしてもはっきりと結論をださないといけない必然性が 残酷な結果をもたらすことがあります。先日受けた研修の中で、裁判官さん自らが痴漢の罪に問われた事件が紹介されていました。ほんとにやったかどうかわからない。でも結論をださなければ、いけない。これは当事者両者にとって残酷なことだと思います。

 法化社会のよい点は、最大限いかすべきですが、欠点は補うべきだと思います。

 法律以外の問題解決も、この国に 残していくべきだと 小生は考えます。