歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。

(E.H.カー『歴史とは何か』(岩波書店、1962年)pp40)

 

E.H.カーの『歴史とは何か』の一節です。

大学で歴史学を専攻したことがある人だったら、一度は見たことがあるはずです。

 

この本は、まさに「歴史とは何か」についての古典だとされています。


しかし、私は疑問に思うことがあるのです。

 

疑問:なぜE.H.カー『歴史とは何か』が参考図書とされるのか

先述したように、E.H.カー『歴史とは何か』は歴史学においては既に古典の域にあると言えます。

したがって、大学に入学したばかりの学生などに、まさに「歴史学とはどういう営みなのか」というものを知ってもらうために、参考図書として提示されることも多いです。

日本の歴史学界において、E.H.カー『歴史とは何か』はある種の特権的地位を占めているように感じます。

 

しかし、なぜE.H.カー『歴史学とは何か』が提示されるのでしょうか。

決して自明ではないはずです。

 

少々検討してみましょう。

 

仮説1.E.H.カー『歴史学とは何か』が一番分かりやすいから?

最初に考えられるのが、E.H.カー『歴史学とは何か』が初学者向きの本であるという可能性です。

初学者用に、「歴史とは何か」という点について分かりやすく書かれているという可能性です。

 

残念ながら、この可能性はないと思います。

E.H.カー『歴史学とは何か』は、決して読みやすい本ではありません。

 

日本人には馴染みのない、古い時代のイギリスの歴史学者の名前がしばしば出てきます。

 

他にも、歯ごたえのある記述が多々あります。

私自身、大学1年生で読んだ時よりも、大学院生になってから改めて読み直して理解できた部分が多くありました。

 

仮説2.E.H.カー『歴史学とは何か』が一番幅広く様々な歴史学の問題点に言及しているから?

次に考えられるのが、E.H.カー『歴史学とは何か』が歴史学研究をする上で避けて通ることのできない様々な問題に幅広く言及しているから、という可能性です。

 

この可能性はなくはないと思います。

E.H.カー『歴史学とは何か』では、確かに様々な問題点について言及がなされています。

 

ただ、それであれば、他にも優れた教科書は存在するはずです。

例えば、直近であれば東京大学教養学部歴史学部会編『東大連続講義 歴史学の思考法』(岩波書店、2020年)などは、歴史学が内包する様々な問題について言及している、とても良くまとまった本だと感じます。

 

 

E.H.カー『歴史学とは何か』が特別な地位を占めている現状に対する根拠として、E.H.カーが歴史学における広範な問題点に言及していることを挙げるのは、少々弱いと感じます。

 

仮説3.E.H.カー『歴史学とは何か』が一番初めに指摘したものだから?

3つ目に考えられるのが、E.H.カー『歴史学とは何か』が「歴史とは何か」という問題について初めて言及したものであるから、という可能性です。

この問題についての原典であり、読まざる者はモグリになってしまうという可能性です。

 

これは違います。

 

白状すると、私自身「歴史学とは何か」という問題に興味関心をいだく以前は、このテーマに関する本として知っているのはE.H.カー『歴史学とは何か』くらいでした。

 

しかし、実際に「歴史とは何か」についての本を探してみると、思いのほか多くの学者がこの問題に言及していることに驚きました。

当然、E.H.カー以前にも「歴史とは何か」について言及している人物は大勢います。

ヘーゲルしかり、ランケしかり...。

 

「歴史とは何か」は、決してE.H.カーの専売特許というわけではないのです。

 

仮説4.E.H.カー『歴史学とは何か』で示されている歴史像が正当派だから?

4つ目に考えられるのが、E.H.カー『歴史学とは何か』で示されている歴史像が、現代歴史学のなかで正当とされているから、という可能性です。

 

たしかに「完全に客観的な歴史学は不可能である」や、「解釈こそが歴史学の神髄だ」というE.H.カーの主張は、現代歴史学の根幹です。

 

しかし、これらの主張がE.H.カーに特有のものというわけではありません。

例えば、E.H.カーに先行する歴史学者であるB.クローチェは、「全ての歴史学は現代史である」と述べ、E.H.カーと同様の主張をしています。

 

仮説5.E.H.カー自身が優れた歴史学者だから?

5つ目に考えられるのが、E.H.カーが優れた歴史学者であったから、という可能性です。

 

確かにE.H.カーのソ連史研究は優れた研究であるとの評判を勝ち取っています。

 

しかし、E.H.カーは「歴史学とは何か」という課題、すなわち歴史哲学・史学史についての専門家ではありません。

E.H.カー『歴史学とは何か』も、体系的にまとまった研究報告・論文というよりも、E.H.カーが自身の研究者生活において考えたことを述べているエッセーのような雰囲気を感じます。

 

仮説6.E.H.カー『歴史学とは何か』が入手しやすいから?

6つ目に考えられるのが、E.H.カー『歴史学とは何か』が入手しやすいから、という可能性です。

 

これは有力な理由だと考えています。

 

新書版でそれほど分厚くもなく、絶版になっていないため容易に入手でき、安価である。

新入生に対して参考文献として勧めるに際して、好都合な条件がそろっています。

 

仮説7.「歴史学と言えばカー」という先入観があるから?

7つ目に考えられるのが、歴史学の古典と言えばE.H.カー『歴史学とは何か』だという先入観があるから、という可能性です。

 

これも有力な理由だと考えています。

 

今大学で教鞭をとっている方々の年齢が30~70だとすると、これらの方々が大学生だったのは10~50年前ということになります。

一方、E.H.カー『歴史学とは何か』が出版されたのは1962年です。

 

つまり、今の大学教員もE.H.カー『歴史学とは何か』を読んできた可能性が高いのです。

若い大学教員のなかには、既に「古典」と化した『歴史学とは何か』を読んできた人も多いかもしれません。

 

自分が(古典として)読んだことのある本だから、今の新入生にも勧める。

こういった可能性は高いのではないでしょうか。

 

仮説8.「自分の専門分野以外には疎い」という研究者の性質が影響している?

8つ目に考えられるのが、「自分の専門分野以外には疎い」という研究者が持つ性質が影響している、という可能性です。

 

研究者とは、自分の専門分野以外には疎いものです。

同じ日本史研究者であっても、近代史専攻と古代史専攻では意思疎通が困難です。

さらに、同じ日本近代史研究者であっても、軍事史専攻と文化史専攻では意思疎通が困難です。

 

「歴史とは何か」という問題は、確かに歴史学者全員が考えなくてはならない問題です。

しかし、分野としては歴史哲学・史学史において専門に研究されるものです。

 

したがって、歴史哲学・史学史を専攻する者以外がこの問題について疎くなってしまうのは、致しかたありません。

そこで、過去に読んだことがあり、周りの人も古典として評価しているE.H.カー『歴史学とは何か』が、参考文献として提示されるのではないでしょうか。

 

以上、E.H.カー『歴史学とは何か』が日本の歴史学界において特権的地位を占めている理由について考察してきました。

考察というよりは「思い付き」を列挙しただけかもしれませんが...。

 

とにかく、E.H.カー『歴史学とは何か』が日本の歴史学界隈で大きな影響力を持っていることは確かなはずです。

しかし、それがなぜなのかは決して明らかではないように感じます。

 

いずれは、E.H.カー『歴史学とは何か』についての歴史を検討してみたいものです。

おしまい。