908名の特攻隊員の方たちが飛び立った鹿屋航空基地は

現在は海上自衛隊鹿屋基地となっています。

敷地内にある鹿屋航空基地史料館には
旧海軍創設期から現在の海上自衛隊に至る海軍航空に関する資料が展示されています。

海上自衛隊の方たちが
とても親切に案内、説明をしてくださいました。



私は明治海軍が大好きなので(秋山さんとか山本さんとか東郷さんなど)

最初で足が止まってしまいましたが。。。


今日はこちらではありません!と通過あせる
また次回、ゆっくり来たいと思いながら進むと、、、


零戦が目






近くでコックピットの中が見れるようになっているのです!

翼の一部を動かしてくださったり、
操縦の仕方を一部教えていただいたり、、、と


零戦のかっこよさに目がキラキラしてしまいました。

この零戦は
錦江湾と吹上浜の海底から引き揚げられた2機が、ともに補う形で1機の零戦となったものです。

エンジンは横に展示されていたのですが、
エンジンをつければ、飛べるくらい、しっかり修復されているのだそうです。



当時、飛行兵はみんなの憧れだったと聞いたのですが、

それがよくわかりました。

零戦はとてもかっこよかったです。


私が零戦に夢中になり、時間がなくなり
多くのコーナーをとばし、、、(やはりまた訪れて見なくてはです。)


最後にある特攻の部屋へ。


こちらに入るとガラリと空気が変わります。
壁いっぱいに遺影がかかり、遺書や遺品が展示されています。




遺影の最初は
フィリピンの最初の特攻で亡くなられた関行男大尉でした。


関大尉は出撃前にある報道班員に
このように話をしていたそうです。

「僕なら体当たりせずとも敵空母の飛行甲板に五〇番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。
日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。
僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のために征くんじゃない。
最愛の妻のために行くんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、すばらしいだろう」


特攻隊の方たちのことを自分で読み聞きするまで、
このような感情を持っていたというのは
全く知りませんでした。

関大尉は新婚さんだったそうです。


改めて、
本当のことを知ってこそ、
戦争の辛さや悲しさが見えてくるのだと思いました。


特攻の父と言われる大西瀧治郎参謀長は

特攻をする理由について
7:3の条件で講和を結ぶために
フィリピンを最後の戦場とするため。

特攻を行えば天皇陛下も戦争をやめると仰せるだろう。この特攻の歴史が日本を再興するだろう、と説明されたと、以前、読んだ本に書いてありました。


最初におこなわれた特攻と
戦争の末期の特攻は、違う部分がでてくるのですね。





本当に、私、個人が思うことですが、

映画「永遠の0」に出てきた台詞で

九死に一生ならいいが、十死に0生は嫌だ、というような言葉がありましま。


零戦の搭乗員の方は、とても優秀な方が多かったと聞きます。そして、みなさん、命をかけてたと思います。

だから、「一生」の可能性を残しておいて欲しかったです。


そして、そんなに国をかけた戦いだったのなら、
有能な若者に将来を託し、
偉い方たちに先頭をきっていってほしかったです。
(もちろん、偉い方が先頭をきっていたことや、そのつもりだった方もいらっしゃったのは知ってます。そういう人が沢山いて欲しかったです)


そして、戦闘機よりも、人の命を大事にしてほしかったです。
落下傘を使ってもいい環境にしてほしかったです。



これは本当に私個人の感情です。

事情などが色々あるのもわかってます。



なかなか心にすとん、と落ちないことばかりなのが戦争ですね。


本当に色々なことを考えさせられます。

みなさんも
平和は当たり前!だとは思わずに、

見て、知っていきましょう!


そして、最後は

昭和16年の2月に
山本五十六連合艦隊司令長官、大西瀧治郎参謀長、源田実参謀が

極秘階段をした部屋がある建物


(戦艦をイメージされてるそーです
)




航空機を敵の攻撃から守るための格納庫、

掩体壕(えんたいごう)を見せていただきました!




鹿児島の鹿屋市には
沢山の戦跡が残っています。


是非、訪れてみてください!


私もまた、ゆっくりいきたいと思ってます。


鹿屋航空基地での様子は

YAJIKITA on the road

映画「永遠の0」公開直前企画

「零戦パイロットの真実」と題して
12月14日に放送になります。

是非、聴いてくださいね!






Android携帯からの投稿