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今日は喜多川泰さんの書かれた、運転者~未来を変える過去からの使者~という本

を読んだので、その感想ブログを書いていきたいと思います。

 

この本は妻と娘(中2)がいる完全歩合制の保険会社で働く営業マンの岡田修一という主人公がある日乗客の「運」を転ずるという摩訶不思議なタクシーに乗って、未来を変えていくという物語だ。

僕は「運」について、「運がいい人」と「運が悪い人」で分かれていると考えていた。世の中の成功している人や宝くじなどのギャンブルで当たっている人などを見た時は「あの人は運がいいな」という目で見ていたし逆に失敗した人を見ると「あの人は運が悪かったな」という目で見ていた。自分の人生と「運」との関係について振り返ってみると小学生とか中学1年くらいまでは自分は運がいい・運が悪いなどは考えたことはなかったけど、そこから今まで年を重ねるごとに「自分は運が悪い方なのかな」と感じることが多くなっていったと思う。ここ2,3年ほどは何かうまくいかないことがあるたびに思っていた。そしてそのたびに心の中では運が悪いことがこんなにたくさん起こっているのだから、いつかは運がいい出来事が起こるのではないかと勝手に期待していた。あまり神とか迷信を信じる性格ではないが、いつの間にか神頼みをしていた自分がいた。だがそんな「運」についての考え方がこの本を読んでから180度変わった。いくつかハッと気づかされた言葉・考え方を出していく。

まず”運を捕まえられるアンテナがどんな人にでもあり、そのアンテナの感度は上機嫌の時に最大となり、逆に不機嫌の時はアンテナが働かないという考え方だ。「上機嫌でないと、運の転機を感じることができません。機嫌が悪い人は、人生を大きく変える大逆転のチャンスすら、イライラしたままさっさと終わればいいのにと思ってしまうんです。」運転者はこう語っていた。少し自分にその考え方を当てはめてみると、「運」というものについていいも悪いも何も感じていなかった小学生のころまではどちらかというと毎日上機嫌で過ごしていたと思う。特に小学4年生のころはサッカーで県大会優勝したり学校でもなんでも一番だった記憶がある。そこから中学・高校・大学と上がっていくにつれどんどん不機嫌になっていった。周りから見ても不機嫌だと分かるくらいの顔つきだった。特に態度が悪く、学校の先生や部活の監督・コーチに悪態をついていた。思春期という言葉で片付けようと思えば簡単だが、大学2年になった今当時を振り返ると、不機嫌だったせいで自分の運を大きく変える出来事を逃してしまっていたかもしれない。実際中学・高校時代はうまくいったと思えるような出来事は少なく、うまくいかないことがとても多かった。

次に”運は<いい>か<悪い>で表現するのではなく使う><貯める>で表現するという考え方だ。運転者は「運がいい人なんていないし、運が悪い人なんていない」と言っている。世の中で運がいいと思われている人は、貯めた運を使っただけだという。僕の考えていた運というものと違った考え方がたくさん出てきて面白かった。大谷翔平が運を貯めるためにゴミ拾いをしていたのを思い出して、今の活躍のすべてではないが一つの要因になっているのかもしれないと感じた。

 

どんどん書いていくとすごい量になるので紙に書いたものを写真で載せることにします。







多分「運」というものについての考え方に正解も不正解もないと思うけど、この本を読んで今までの人生を振り返った時に、「常に上機嫌でいること」これが一番納得できた考え方なので、それを一番に意識して日々生活していきたいと思う。


ここまでブログを読んでくれてありがとうございました。

とても素晴らしい本なのでぜひ読んでください。