ミサイルギャップ論争(英語:Misslegap)とは、1950年代後半に東西冷戦下のアメリカ合衆国で行われた軍事論争。単に「ミサイルギャップ」などと表記される場合もある。1950年代半ばに原子爆弾水素爆弾などの核兵器を大量に保有していたアメリカであったが、その輸送手段は広島長崎のように戦略爆撃機で落下させる方法であり、この当時はまだロケットで飛ばすのは研究段階であった。ソビエト連邦が核開発に成功しても、その規模や生産数及び輸送手段においてアメリカは優位であると信じられていた。しかしソ連はナチスドイツのミサイル技術を以って世界初の大陸間弾道ミサイル(ICBM)であるR-7を開発し、1957年10月4日にこのR-7系列のスプートニクロケットによって人工衛星スプートニク1号を打ち上げて人類で初めて人工物体を地球の周回軌道に乗せることに成功した。この時にソ連のニキータ・フルシチョフ首相はミサイル戦略の対米優位を強調した