私の心の中には、どうしても拭いきれない黒々とした感情がある。
拭いきれない、というか、拭うつもりもない。
正しいかどうかなんて関係なくて。
その『影』の存在は、奪われた『光』がそれだけ強く大きく大切だったことの顕れなのだ。
普段はなりを潜めているその感情が、あふれ出てしまうことがある。
そんな時の私は、とても皮肉屋で気遣いもなくて、時には言葉遣いも乱暴になる。
その自覚があるから、そういう時は、できるだけ人前で話さないようにするし、SNSでの発信も控えるようにしている。
毎月決まった日に開催されているスペースがある。
元々はある番組をきっかけに始まったもので、番組が終わってからも引き継いで続けてくださっている。
他の方のスペースのことはあまり知らないので比較はできないけれど、とても平和でいわゆる『民度』の高い場だと感じている。
控えめなリスナーさんが多いので、私も時々スピーカーとして話させて頂いている。
つい先日催されたスペースのテーマを見たとき。
直感的に「今回はリスナーに徹した方がよさそうだな」と思った。
あの『影』を押し殺して話す自信がもてなかった。
きっと、不穏な空気を醸し出して、楽しみに聴いている参加者の気持ちを曇らせてしまうだろう、と。
大丈夫、話すのは他の方に任せておけばいい、と思っていた。
ただ。
正直、そのテーマで語られるであろう話題の色々を想像して、それらを聴くのもしんどいかも知れない、とも思った。
でも、リスナーが多い方が、スペース開催者の励みになるのは分かるので、その時間だけは頑張ろう、と。
当日、開催アカウントにアクセスすると。
なんと、主さんと自分しかいない状態。
いつもなら早々にスピーカーとして上がって話をするのだけれど、実は、イヤフォンマイクの行方が分からなくなっていた。
まぁ、今回は聴くだけのつもりだからいいか、と探すこともしていなかった。
おまけに、SNSのサーバーの調子が悪いのか、頻繁に接続が切れてしまう。
どうしたものか思っていたら、一人の参加者がスピーカーになってくれたので、心底ホッとした。
前述したように、接続が不安定なので、しょちゅうスペースの入退室を繰返していて、段々スピーカーが増えてきたこともあり、聞き逃した会話も多々あった。
そんな中、聞こえてきたある言葉に、思わず反応して、コメントしてしまった。
「どちらもそれなりに酷い。
現場の当事者からは以上です」
この10年の間に私が奪われた『光』は、実は一つではない。
まず、一つの大きな『光』が理不尽に奪われ
その傷も癒えぬうちに、また別の『光』が失われたことを事後報告された。
私は、好きなカテゴリーが色々あるので、そちらに目を向けることで、時間や心のリソースを割くことで、『光』を失った現実とそれに伴う自身の心の傷から目を逸らしていたのかも知れない。
でも。
そうしなければ、自分の心を護れなかったかも知れない。
だって、今だって、こんなにすぐに傷ついてしまう。
こんなに生々しい感情があふれ出てしまう。
10年経とうが20年過ぎようが、きっと、思い出すたびに繰返す。
傷が癒えることはないのかも知れないけれど
覆い隠して生きていくことは出来る。
この10年、そうしてきたように。
無理して笑っているわけじゃない。
好きなものは沢山ある。(存在してくれて、出逢わせてくれて有難う)
幸せを感じる瞬間もいっぱいある。(こんな気持ちをくれて有難う)
そういうものに助けられながら、生きてきたしこれからも生きていく。
心の片隅に、消えることのない『影』を抱えながら。
