それはケースバイケースですが宗教に関してはあまりいい傾向ではないと思います。
人って言葉に対して反応するようで
良い言葉を発していると良い状態になったり
悪い言葉を選んで使っていると悪い状態になったり、言霊と言われるように言葉は選んで使うべきです。
自分も余計な事を以前はよく言ってましたが
感情的になっても良い試しがないので
黙ってみたり、言葉を押し殺してみたり。
それを俯瞰してみると結構凄い事やってるなと思ったりします。
人間の賢いところは己を戒めて規律を正せること理性を持ってやっていけるところにあると思います。
ところが病気になると自分を大事にするようになり、周りの事が見えなくなります。
そういう場面によく出てくるのが宗教だったりします。漬け込みやすいんですね。
この病気は信仰していけば治るよと言うところからスタートしていきます。
そこまでならいいんですが最終的には多額の献金をしたりして、人間後戻りが出来なくなるまで行ったりします。
後戻りして反省してしまえばいいのですが、プライドというか筋を通すというか、そのまま突っ走っちゃえーって行くところになると自分自身後で痛い目に合っていると初めて気づくでしょう。
自分自身も統一教会と創価学会という2大○○宗教と関わっていたのですが、今振り返ってみると時間の浪費じゃないのかなと感じたりします。
というか自分が良い思いをしたと感じればそれは合ってるのかもしれませんが、今となっては特にその活動と関わるメリットもないと。
ある程度勉強や信仰活動しましたがシックリときませんでしたね。惰性じゃダメだろと。
メリットと言ったらドライですが、時間をお金を割いてまでする行動に価値はあるのかと。見出せる何か真理を求めてとかではなく、ただ人付き合いがしたかっただけなのでw
まあ確かに人脈は多少増えましたが、普通の人会わせにくい人なので、つまりは内部としか関わらなくなっていくんじゃないのかなと判断したので今は適当にやり過ごしています。
今は受験生として勉強に集中しているのでそういう事に現をのかしてる場合じゃないのです。
人生がかかってるので。
まあ人それぞれ価値観はあるので自分は病気を宗教で克服したから良かったとか思うんでしょうけど、自分の場合時が解決してくれたのもありますし、自分自身で気付きがあったから今があると思っています。
全部が全部ダメとはいいませんが、まあ貴重な青春をちょっと無駄にしたかもなと思って今はそれっきりにしたいと考えています。
自分が感じ取ったのは宗教はお金を集ったら終わりかなと。
母はそれで額は言えませんがかなり取られたので、それでも懲りず宗教に求めていく姿勢を見るとなんとも情けない気持ちになります。
ある程度まで役目を果たしたと感じたら自ら退く決意も必要じゃないかと。
この2つの宗教は自分は沼だと思います。
私の人生何やってたのかなと感じる事間違いないでしょうね。思考が持っていかれてますから。

