月と木星について面白い事を聞いたのでメモします。

核戦争をなんとか避ける方法はないのかという、超御もっともなご意見を多数頂くのですか、残念ながら地球の環境がもう限界なので、手遅れになる前に事が起きてしまうのは必至の様でございます。

まーこれまでの記事でも散々書いてきた事では有りますが、破壊担当の闇の勢力と、対極の光の勢力とは、地上においては親父と母親のような関係ですが、宇宙においては、分かりやすく言えば家族と社会との関係に似ているかもしれません。

闇の勢力に支配された地球から光へとアセンションするサマは、子供が親元を離れて立派に社会人デビューする流れと似ています。

親に保護されながら躾をされ、学校を卒業して企業に就職し、収入を得て親元を離れる、今の人類は丁度この段階に差し掛かっていると言えるでしょう。

その後パートナーを見つけ子供を産み、今度は親の立場となって躾ける側になっていくのは、まだこれから先の話です。

地球での人生ゲームは、宇宙の流れを抽象的に体験している様なものですね。

闇と光を分離させる行為は、親に離婚を迫るようなもので決して健全な状態とは言えませんよね。

ニート引き篭もりでなかなか親元を離れない、離れられない子供は引き続き修行が必要です。


地球を監視したり直に手を加えたりなどする為の施設は月にあるそうです。
かつて人類はその事に気が付き、月へ核攻撃を仕掛けようとした過去があるそうです。

もちろん、その時は神の天罰で速攻で滅ぼされてしまったそうですが。。

そして今回アセンション出来なかった魂の修行の場所は、地球ではなく、なんと木星なんだそうです。(笑)


この話を聞いて僕が真っ先にイメージで浮かんだのは、1990年にヒットした、たまの「さよなら人類」です。

そういえば、人類は進化して木星へ進出するみたいな内容だったな〜と。

当時僕は小学生の低学年で、何故だか思い切りハマってカラオケでよく歌っていました。

ディセンション先が木星なら進化ではないので内容と違うな〜と思ったんですが、よく考えれば歌詞的に進化とは言ってないんですよね。

ひょっとすると、「さよなら人類」はディセンションした人類についての歌なのかなと思ってヤハウェに聞いたら、案の定そうだという答えが返って来ました。

作詞作曲を担当した柳原さんは、意味ないよ〜とか言っていますが、いや意味ありまくりでしょう。って僕は思います。

興味のある方は是非意味を踏まえて歌詞を見てみて下さい。
面白いですよ。^ ^



路地裏→隔離状態の地球
月→地球の管理施設
木星→ディセンション惑星
ピテカントロプス・猿→原始人類
翼を無くしたペガサス→霊的知性を欠いたテクノロジー
カナリヤ→ヤハウェの言葉
牛→ヤハウェを忘れた人類
壊れた磁石→ 霊的知性を欠いた物質的な機械
ブーゲンビリヤの木→キノコ雲
月の光→管理組織による妨害