さて半沢直樹が盛り上がってますが、堺雅人さんファンであるなら必ずや通ってるであろうリーガルハイとの関連について思うことを。
(前回記事から5年ぶりです、サザン遍歴の記載が置き去りなのはおいおい…。)
結論としてここで言いたいのは「黛真知子の完成形が半沢直樹である」という説です。以下論拠を述べてみます。
リーガルハイにおいては堺雅人演じる古美門研介と新垣結衣演じる黛真知子のそれぞれの弁護士が、互いに相容れない信念を際立たせるように毎回衝突します。結果としては古美門が黛に毎回完勝・論破しつつ、その喝破で黛を都度導いているという師弟の構図になっているのが基本的な構成です。(第2期はもう少し複雑ですので一旦置いておく)
黛は「朝ドラ」という古美門からの揶揄に代表されるようにステレオタイプの主人公、いわゆる「正義の味方」です。自分が信じる正義の為には自己犠牲も厭いません。常に自分の身を削る、献身型のヒーローでもあります。
対して古美門は血も涙もない金の亡者、費用も高額、情緒もなく「正義など存在しない、我々弁護士は依頼人の利益のために全力を挙げるのみ」という極悪非道、ただし必ず勝利する弁護士。
ただその実古美門が訴え続けているのは「正義」「絆」「民意」「空気」という形のないもの、世間一般誰しもが持っている認知バイアスによる視野狭窄の危うさです。
幾ら努力をしても世に遍く全ての物事を知ることは叶わない、世界に絶対的な正しさが存在しない以上、法と証拠、およびクライアントという自身に対価を支払った人がいるという事実のみにフォーカスし、ただそのクライアントの利益だけを追い求めろと一貫して主張しています。
これは日本国家で数少ない法を扱い人を裁く資格を持つ者という絶対的優位に立つ人間の矜持であり、同時に主観による権力の暴走を自ら戒めるための信念であるということでしょう。
ただ面白いことに古美門は黛の信念を否定することは決してしません。黛がある裁判で古美門に負けた際、古美門が黛に放つ台詞が象徴的です。以下引用します。
『旅人のコートを脱がせたくらいで勝てると思うな!太陽をやるなら灼熱地獄でパンツ一枚残さず剥ぎ取れ!それぐらいでなければ理想で現実を変えることなど出来やしない。もっともっと強く賢くなれ、 朝ドラ!!』
黛はその正義感故に卑怯な手を使うことを良しとせず、常に正攻法を用います。それが古美門にとっては法廷で争う相手として恐るるに足らない(かつもどかしくもある)所以なのでしょう、上記の台詞を意訳してみると以下のようになるのではと思います。
『自らの手を汚さず理想ばかり語っていても誰もついてこない。君が思う正義が報われる世界を本気で実現したいのであれば、まずは今の理不尽な世界のルールで徹底的に闘いそして勝利しろ。ルールの範疇で相手を捻じ伏せる為にどんな汚い手でも使う覚悟を持て。勝者にこそ人は耳を傾ける』
さて、これを真剣に考え実行に移している人が…あの半沢直樹なのではないかと思うのです。
半沢は自身の信念を以下のように語ります。
・正しいことを正しいと言えること
・組織の常識と世間の常識が一致していること
・ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価されること
・組織の常識と世間の常識が一致していること
・ひたむきで誠実に働いた者がきちんと評価されること
これは黛の考える正義に通じるところがあります。また、組織が駄目になる理由として半沢はこうも言っています。
・自分のためだけに仕事をしているからだ。仕事は客のためにするもんだ。ひいては世の中のためにする。その大原則を忘れたとき、人は自分のためだけに仕事をするようになる。自分のためにした仕事は、内向きで卑屈で醜く歪んでいく。
これは古美門が掲げる「クライアント至上主義」および彼が投げかける「偏った正義(=内向きの、自分のためだけの仕事)への警鐘」とほぼ同義です。
そしてご承知のように半沢は決してクリーンではありません。自分の正義を貫くため、顧客(自社)を守る為にはその手段が違法であろうとも躊躇しません。その手は汚れています、叩けば埃だらけでしょう。それでも彼は彼を慕う者からも、また視聴者である我々からしても少しの疑いもなく「正義の味方」なのです。
黛がいつか世界と戦う覚悟と力を持った時、それはきっと半沢直樹のような立ち居振る舞いの絶対的なヒーローになるのであろうと妄想しながら今しばらくは毎週日曜夜を楽しみにしようと思います。
そしてリーガルハイ第3期をどうか…フジテレビさんお願い…コンフィデンスマンJPもいいけど…。
