自分の好きは正しいものなのか。
自分の好きはなぜ好きなのか。
周りと合わせた方が生きやすいのでは?
そんな私に転機が訪れます。
普通の人と同じように「アニメ好き」「映画好き」として、プロフィールに書いてきました。
そんな中、共通の趣味を持つある人物に出会います。
その人と会話を重ねていくうちに、彼女は私にある言葉を放ちました。
「お前の好きは、まだ本気じゃない。お前は嘘をついている。真の姿を出せよ。」
…まぁかなり意訳してます(笑)
彼女は、私がかつて憧れてた人たちのように、創作をし、仲間を作り、思いを語り合い、そしてまた創作をするという人物でした。
意を決した私は、私の愛のこだわり、人生、近年のオタク界隈への不満、こういう話がしたかったを、すべてぶちまけました。
そして彼女は私にいいました。
「創作をすればいい」
イベントを開いたり、同人誌を作ったり、オタクは自分の欲望を形にしてきました。
受け身だけに逃げ、周りに溶け込もうとしてた私は、その道をいつしか自分で閉じていたのです。
「ブログとかやってみたかったけど…発信てしたことなかったなぁ…」
「…はぁ?」
私の発言から、二時間近く説教を受けました(笑)
そして彼女が私に伝えた言葉が、私の心を大きく変えました。
「あなたの思想妄想を表に出せば、何万人といる人の誰かに行き着く。誰かの心を救う。意見がくれば、自分の力にもなる。同じ思いの友ができる。それが創作の醍醐味。」
そして、私はこのブログを始めました。
そして彼女とは、女性界隈と男性界隈の違いなどとても面白い話をしたのですが…それはまた別の機会に。
さて、自信を持つのと同時に、世間に対する不満が露になった私ですが、ここで一つの動画に出会います。
この講演、なんと2006年の事です。
この動画で、私が今世間に抱く感情を言ってくれています。
本人も動画内で言っていますが、無理矢理にオタクを定義しなければならないため、結構その辺は共感しにくいです。
また、女性界隈に関する内容も、あまり共感できません。
ですが、オタクの歴史や今のオタク「第三世代」に関する内容は非常に共感できます。
今の人たちにとっては、オタクというのはアイデンティティ。こんな趣味を持った自分を、受け入れない世間が悪い。
俺にとってオタクはこうだから、定義はこれね。これやったら仲間だから。
オタクは美少女が好き。
世間が勝手にイメージをつけ、自分を見つけられない子供がそのまま成長し、群れにいる安心感で生きる。
これが2006年の話なら、その後の現代はこうではないでしょうか。
俺の好きはこれだから。世相に流される人はバカだ。という「強いオタク」が、弱いオタクの群れに淘汰された。そして、弱いオタクが金を落とすから、彼らを主体としたカルチャーが出来上がった。
こうして、オタクは死んだ。
そして、新たな定義の「オタク」が生まれた。
今回は詰め込みましたね。
次回で一旦区切ります。
まぁ色々つたない文章なんで迷子になりかけましたが、つまり私が言いたいのはこういうことです。
·現代の人はつまらない。
·このままだとカルチャーごと死ぬ。
·こう思うのは私だけじゃなかった。
·現代の人は「自分を守り正当化するために」群れることを選んだ
·世相をバカにし好きを貫くオタクが、かつては存在した。
·オタクは群れに淘汰された。
いかがでしょうか。
もちろんこれは、あくまで!!! 私の考えです。
別に今が楽しければ、そのままでいいです。
先ほども書きましたが、数万いるうちの一人でも、この思いを持つ人を救うために書いてるだけです。
そこをお忘れなきよう。