君たちは「君たちはどう生きるか」をみましたか!?


君たちはどう生きるか映画がひどいつまらない駄作との酷評|理由・感想・割合を調査 – cocoal media

 

まずは、アカデミー賞おめでとうございます!

 

この偉業を成し遂げたことを、心より祝福します。

 

さて、そんな作品への私の思いを書こうと思いましたが、いかんせんどう書こうか悩みました。

 

そこで、今回のコンセプトは

 

周りの声に流されずに見てくれ!! にしようと思います。

 

なぜそう思ったのか、この作品を紹介しながら、一人でも多くの

「見てみたい!!」という感情を作りたいと思います。

 

 

 

目次

 

  1. あらすじ

 

 

時代は第二次世界大戦末期。他よりも裕福な家で育った眞人(山時 聡真)は、戦争の火災で実母を失う。 父はそのあと夏子という女性と再婚し、母方の実家へ父の工場ごと眞人は疎開する。

 

疎開先の屋敷で出会った不思議なアオサギにつられるまま、敷地内にある不思議な塔にたどり着くが、屋敷のばあやたちに止められる。 

 

翌日、眞人は自傷行為をしてしまう。その心は誰にも分からない。 彼の心を開こうと接してくれる再婚相手の母へも開くことはない。 彼の心を開いたのは、死んだ実母が残した小説「君たちはどう生きるか」(著:吉野源三郎)だけであった。 

 

そんな中、夏子があの塔に導かれるように夢遊病状態で進んでしまう。彼女を助けたいと思う眞人の目の前にあのアオサギが「アオサギ男」(菅田将暉)として現れる。 眞人はアオサギ男とともに、塔の中へ進む。その先は、まるでこの世の理が凝縮された不思議な世界「下の世界」へとつながっていた。 

 

眞人とアオサギ男は、時にいがみ合い、時にお互いを助けながら、不思議な協力関係を作りながら進んでいく。

 

 

 

 

 

  2. 解釈が難しい大傑作

 

 

皆さんは美術館などで足がすくんだ経験はありませんか? 

何がすごいのか分からない、でも感じる熱い感動。進みたくない、この一作とともにもう少し過ごしたい。

 

 

君たちはどう生きるかは、まさにそんな作品です。 

 

今を生きる稀代の天才が、アニメという技法を使って人々を感動させ続けた天才が、その魂を開放して作ったのが本作と思ってください。

 

 今は廃れてきている「手書き」による圧倒的な映像の暴力。まずそれが私たちに襲い掛かります。まさにこれこそ、スクリーンで見るべき作品です。

 

 

 次に物語です。

 

 この、難解極まりない物語。

我々は劇中の、父「勝一」と継母「夏子」と同じように、心を開かない少年「眞人」に振り回されます。 

そして、この劇中出てくる「下の世界」は、我々の常識が通用しません。その世界についても説明がありません。

 

 ここで観客は”分かろうとするもの”と”諦めるもの”ふるいにかけられます。 

 

そして諦めて手軽な批判に行ったものを、劇中では親分の言うことを繰り返す「インコ」として表現させられます。

 

 さぁ、ここまで読んで混乱してきましたね(笑)

 

 そう、それこそがこの作品を賛否両論にしてしまった原因なのです。

 

 

  3. でかい声のインコ大王につられるインコ達

 

 

私は当時この作品を見た後に涙を流しました。 この感情をみんなも感じたはずだ。そう思い帰路についてX(Twitter)を開きました。 

 

私は忘れもしません。

 

わからない、意味不明、時代遅れ、そういった言葉が溢れていたあの光景を。

 

 

なぜだ。なぜみんな感情を言葉にしない。そう思いました。

 

そして気づきました。

その原因が評論、反応の多い人間、評論、インフルエンサー=声のでかいインコにあると。

彼らがつまらない、わからないというと、みんながわからないと言うのです。

 

それは、既に評論ではなく”プロパガンダ”のようでした。

 

 

私の心に作品越しで未来を託してくれた、大叔父「宮崎駿」の思いは、ずたずたに引き裂かれました。 

 

そして日本では批判の声は大きくなっていきました。

100億行かない作品=つまらない、日本のアニメ文化を作った男の傑作は、そのアニメ文化が作った思想に破壊されたのです。 

 

以上が公開当時の状況です。

 

 

多分今、おおくの人が手のひら返してこの作品を持ち上げています。 ですが、

当時の記録のために、私はこの文をネットの海に流します。 

 

 

絶対に忘れないでほしい。

 

 

 

  4. 転機

 

 

悔しい思いを胸に生きてきた中で「ゴジラー1.0」が公開されます。 

この作品も賛否両論でした。このこともいつか書きます。 も

 

う作品の評論は死んだのか、そう感じました。 

 

そんな中、あるニュースが飛び込みます。 

 

 

「君たちはどう生きるか、海外で大ヒット」 

 

 

私は口あんぐりです。

海の向こうのこの作品は 

 

・かつて私たちを感動させた巨匠が帰ってきた

 

・一少年の不思議な冒険譚 

 

・あまりにもぶっ飛んだ芸術作品 

 

・声優豪華すぎ!!(吹き替えはクリスチャンベール(ダークナイト)ロバートパティンソン(THEバットマン)の新旧バットマンの共演etc) 

 

として、とんでもない高評価を得ていたのです。 

 

 

そして今日(3/11)、なんとアカデミー賞を獲ってしまいました! (実はゴールデングローブ賞も獲ってる) 

 

私の心を潤し、世間に酷評を浴びた作品は、なんと世界のNo.1ムービーになってしまいました。 

 

ちょっと、いや、だいぶ私は救われました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 

 

  5. だからこそ、みんなのために俺ができること

 

 

世間にはびこる声のでかいインコに負けないために、今一度この作品を皆さんに見てもらうために、 

こっからは私なりに「こう見たほうがいいよ」を提案してみます。 

 

皆さんが見る前の心構えにしてみてください。 

 

案1「宮崎駿の遺言」

 

 

この作品は、眞人=宮崎駿として考える人が多いです。 

 

ですが、後半に彼の前に大叔父という人物が出ます。

彼は自分が想像した世界を眞人に託そうとしますが、彼に拒否されてしまいます。 

そのうえ、でかい声した無能がこの世界を破壊してしまいます。 

 

大叔父の世界は消えます。

しかし眞人のポケットに、彼の想像の一部が入っている。

 

たった一部でも、彼の思いは継がれたのであった。

 

というのがこの物語のラストです。 

 

 

私はこう考えます。 

 

宮崎駿は、自分の世界を継げる人間はいないと気づいてしまったのではと。 

だから、彼の生んだものから何かを拾ってほしい。彼が生きた証を残してほしいと思ったのではないでしょうか。 

 

さらに、この作品のポスターにもなったアオサギ男。彼はかなりムカつくクソ野郎です。

ですが、その心の奥にあるやさしさ、面倒見の良さが描かれます。

 

 鈴木敏夫Pが「これ俺だ」って言ってましたが、まさにその通りです。 

 

世間から見たら悪人でも、宮崎駿にとってはかけがえのない人物なのです。 

 

つまりこの作品は宮崎駿の「本音でいう人生」と「次世代への思い」を、ひねくれたオタク全開で描いている作品ではないでしょうか。 

 

皆さんも幼少期に見たあのジブリ作品の生みの親の遺言ですよ?日本人としては見ないことがありえないのでは?それであなた、グローバル化国際化なんて語れますか??(笑) 

 

 

提案2「亡き親友との激闘とアオサギのやさしさ」 

 
 

 

この作品の上映から数か月後に、NHK「プロフェッショナル」にて特集が組まれました。 

その作品を見たある人物のツイートが万バズいってました。 

 

https://x.com/tsuyotsuyopoooo/status/1735990347770245461?s=20

 

 

 

 

そう、私のツイートです!!!!!!!!!wwwwwww 

 

この番組を見て感じたものは以下です。 

 

・高畑勲という人物は、天才「宮崎駿」の溢れる才能に対するストッパーだった。 

 

・溢れる才能を言語化、作品化するのに、高畑は必要不可欠だった。 

 

・そんな心の親友が天に旅立った。宮崎駿はその後、死への恐怖といないはずの親友の存在に苦しんでいた。 

 

・筆をとり、この思いを吐き出す。物語にするために、今はいない高畑と相談する。

 自分の人生、今感じるもの、すべてを吐き出す。 

 

・形になったものをアオサギ男に見せる。彼はこの魂を具現化したものを、もっとも待ってる人物に渡した。

 そしてアオサギ男は、期待通りの言葉をくれた。 

 

 「映画にしましょう」。 

 

・引退宣言をした手前、恥ずかしい気持ちもあった。そんな思いを知ったアオサギ男がとった最高のやさしさ、

 それこそがあの「宣伝なし」だった。 

 

 

という感じだと思ってます。 

 

あるひねくれた大天才の苦痛と、やさしさに溢れて生まれたのがこの「君たちはどう生きるか」なのです。

 

 

以上が私から皆さんへの心構えの提案です。

もちろん、もう答えを持ってる人には必要ないですし、その思いを私は否定しません。 

 

この提案は、声のでかいバカ共に毒された人たちを救うために書いたのです。

 

 

  6. 感情に間違いはない

 

 

さて、長々と私の恨み節に付き合っていただきありがとうございます。 

 

映画に感じるものは千差万別です。私だって時に批判をします。 

しかし、私はいきなり批判はしません。

考察、パンフ情報、周囲の情報、それらを汲んで諦めた時に批判に移ります。 

 

近年の日本人を見てると、声の大きな無能に支配されることが多いです。 

 

それは、皆さんの感情が否定され続けた、この日本の風土にもあると思います。 

 

皆さん、子供に戻ってみてください。 

 

あなた達が感じたものに、何も間違いなんてありません。 

 

私は、そんな皆さんの人助けになるために、今後もいろんな投稿をしていきます。 


 

    

風を受け走り出す 瓦礫を越えていく 

この道の行く先に 誰かが待っている 

光さす夢を見る いつの日も 

 

扉を今開け放つ 秘密を暴くように 

飽き足らず思い馳せる 地球儀を回すように 

 

~本作ED「地球儀」(米津玄師)~