九十歳の予想顔
梅雨のおぐら此処が棲池半夏生
ところで君が死んだあと
君の死体はどうしようかな
ちょっと考えておいてくれんかね
確かに
私は自分のことがわかっていなかった
鳥の辺に捨てて
風葬だの土葬というわけにもいかないから
困ったな
一度役所に相談してみるよとしか言えなかった
・ ・ ・ ・
死というものは
本人が一人称であり
家族や親族や親友といっものが二人称
医師にしても看護師にしても三人称で
その受け止め方は臨終の時にあきらかにわかる
突然の事故で家族が脳死状態になった時
まず医師から死の宣告があるが
当然家族は瞬時に家族の死を
受け入れられるはずもない
ましてやここで
臓器移植の提供してもらいたいと
医師から言われればどうだろう
まだ死んでいない 認めていない時に
三人称の医師は
一人称の手伝いをするためにいるので
医師は一人称ではない
ましてや二人称でもない
三人称の死の定義は違う
私は死に直面した時
二人称の死の定義と三人称の死の定義が
あるのを知った
・ ・ ・ ・
死後の自分のカラダは
どうなるのだろうと考える
どうも納得のいくことにはならない
まだ今は黙っていれば
火力の強い火葬にしてもらえるから
綺麗な灰になるのでマシだけれど
蒸し焼きとか風葬土葬水葬とかだと
昔の人は嫌だっただろうなとか思っていた
実際リアルに考えたら聞きたくないから
やめてくれって言われそう
でも臓器移植の話しがあるのなら
おねがいしておこうか
とも思う
ちょっと前までは死ぬことは
今とは全く違う意味を持ってたんだろう
そりゃあ自分たちで集まって
弔っていたんだから
人間関係の重みにしたって違う
憎まれてた人ならそれなりに
愛されていた人はより
丁重に葬られていたのだと思う
どっちにしても死体となつたものは
顔の周りに動かぬように
藁やら櫁の葉やら置かれて
あまり気持ちよくもないだろう
と思ったりもした
今は自分の死体のことは考えたくないの一言で
全然話題にもならないが
形式主義で形だけの葬儀あげられて
そんなことも見えてこない
面白くない時代になったものだ
・ ・ ・ ・
そんなことを考えるのも
とうとう
高齢者という檻に
入れられてしまったからなのだろう
〜濱木つづり〜
