10年前 わたしは 新しい職場でパワハラを受け

次男は学校に行きたがらず 毎日校門まで送り迎えをしていました

 

嫌なことをイヤといえず

いい人にばかりなりたがり

パワハラを受けても 自分が悪いのだとおちこむばかりの

おもいっきり 他人軸な 人間でした

 

そんなとき 友人にあるセミナーに誘われました

子育てに関するそのセミナーは わたしにはメカラウロコのお話ばかりで

とても感動し

しかも 講師の先生が スピリチュアリストで

わたしも 勘がはたらくことや ほかににもいくつか

わたしの琴線に触れるようなことを おっしゃいました

 

自分がスピリチュアル系だということに

特別感を持っていることを 見抜かれていたんでしょうね

ちょっと つけあがっていること

 

そして その頃のわたしは

誰かに この状況を なんとかしてもらいたいと

本気の 他力本願でした

 

 

そんな状況で 当たり前のように

わたしは講師を 真剣に信頼してしまったんです

いやちがいます

信頼ではありません

そう 依存したのです

 

講師が考えるように考え 行動するように行動し

少しでも反抗したり 離れようとすれば

ヒステリーと 長時間の説教 

なんであろうと「ごめんなさい。すみませんでした」というまで

許されることは ありませんでした

 

離れたから言えることですけれど

これって DV被害者の心理と同じだったんだんじゃないかと 今は思うのです

離れたら 認めてもらえない(愛情がもらえない)

だから つらいけど そばにいる

 

最後のころ わたしが友人によくいっていたのは

「講師がわたしを認めていないのが、悔しい」でした

 

結局 講師に依存していたんですよ

ほんとうに 最後の最後まで

 

でもこれも いつか終わりが来るもので

講師が送ってきたメールが わたしの目を覚まさせました

 

「あなたのことを思って 厳しく言っているのよ。

わたしはあなたを愛しているから」

 

すごい これって 自己愛の極致だ!

結局 自分が嫌われたくないんだ 

そっか 彼女も 弱い人間なんだな

 

それに気づいたら

わたし 怖いものがなくなってしまった

 

そう どんなに尊敬する人も

されど 人なのだ

人は 自分も含めて 弱く あざとく むごく 素直で 愛されたいとおもっている

 

今までの 世界が 砕けた瞬間だった

 

なんと 清々しいことだろう

世界は こんなにも 明るく 輝いている

 

 

 

講師からは 多くを学ばせてもらったことも事実です

わたしの強みも弱みも ありのまま受け入れることや

自分軸の考え方

自分を振り返り 問答する 精神力

おかげさまで 今のわたしがいます

 

ただ それは 知識であって

それがなんであるかを 身に付けるため 行動し 学んだのは わたしなのだ

 

10年前の出会いは 大成功で 大失敗だった

すべては なるようになる

じぶんが 思い描くように

 

いいも悪いも すべて わたしの責任だから

ぜんぶ 自分のものにするよ

 

そして 生きていくよ