【舞鶴引揚記念館】

午後から舞鶴引揚記念館を訪れました。

舞鶴港は、政府が指定した引揚港の一つとして、昭和20年10月7日引き揚げ第一船の入港から昭和33年9月7日の最終船まで、実に13年間の長きにわたり、その使命を果たしました。


主に旧ソ連、中国といった大陸からの引き揚げがメインでした。終戦時、大陸に残された日本人57万人がソ連へと送られ、その内の47万人がシベリアへ抑留されました。引揚港として13年の間に迎え入れた引揚者は66万4千531人とのことです。



私は、子どもの頃、戦争経験者でる祖父より出征の話や戦地の状況など聞きました。また、数年前に先輩議員の勧めで知覧を訪れました。


私の世代は、直接ではなくても、平和のありがたさ、戦争の悲惨さを学ぶ機会はあります。

ただ、戦争経験者の高齢化により、そう言った経験ができる機会が少なくなっていくような気がします。



舞鶴市は、引き揚げやシベリア抑留の史実とあわせて、あたたかく引揚者を迎えたまちの歴史を語り継ぐための『語り部』の継承事業を行っていると鴨田市長より伺いました。



貝塚市には引揚者住宅があります。

平和教育、歴史を継承していくためにどのような方法があるか、会派内にてしっかり議論をして市に提言をしていけたらと思います。



舞鶴引揚記念館の館長様、副館長様には丁寧なご説明を頂き、ありがとうございました。