皆さん、こんばんは

貝塚市議会議員 中川 剛 です。

今日は、時間し作って勉強の為に戦時中、陸軍が毒ガスを作ったことに由来する広島県の大久野島毒ガス資料館に行ってきました。


今年の夏に子どもの読書感想文をキッカケに読んだ『大久野島からのバトン』



 大久野島は、大正末期より毒ガス製造の研究が始まり、昭和8年より本格的に製造が開始されました。


当時は、ジュネーブ議定書(1928年に発効した、戦争における化学兵器や生物兵器などの使用禁止を定めた国際条約)に違反している事もあり極秘とされ、大久野島は地図から消されていました。


製造に関わったのは、動員学徒、女子挺身隊など1000人程でした。


資料館には、当時の防毒マスクや防毒服が展示されていますが、終戦後に証拠隠滅の為に毒ガス製造の記録書類は、進駐軍が上陸する前にほとんど焼却されたようです。


資料館の方より以前は修学旅行などで広島の原爆ドームと共に見学に来られ、戦争の愚かさ、悲惨さを伝える事が出来たが、かなり減って来ているとのこと。


過去には、大阪市、茨木市、高槻市、大東市の中学生が来られていたようです。


戦後73年目を迎え、戦争を知らない私たちが、戦争を経験した方々のお話を聞く、現地に赴いて学ぶなど今ある平和を感謝すると共に、学ぶ事の大切さを改めて感じました。


毒ガス資料館の展示物が撮影禁止のため、映像を載せることが出来ませんので、こちらでご確認下さい。


最後までお読み頂き、有難う御座いました。