はじめまして、こんにちは
清水康子です
自己紹介をご覧いただき、
ありがとうございます
今ではオンラインやSNSを活用した
新しい働き方に出会い、
大好きな美容と健康の情報を
お届けできていますが、
今の状態に至るまで
山あり谷ありの人生でした
《名前》清水康子 1971年生まれ
《出身地》東京都文京区
《あだ名》やっちゃん
40歳の結婚を機に
栃木県足利市に引っ越しました。
森高千里ちゃんの「渡良瀬橋」に出てくる
夕日がキレイな街です
子供時代
生まれた時から小さくて、
今も身長は154センチ。
「前へならえ」では
ずーーーっと腰に手を当てるスタイルでした
おしゃれが大好きな母の影響で、
小学生時代の私は母の着せ替え人形
目立つファッションだったせいか、
女子から妬まれ、
全員に無視される時期もありました
そんなとき、
母からの「気にするな」という
シンプルなアドバイスを根気よく守り、
最後はいじめの中心にいた女子が
お詫びのお手紙書いてくれて、
一件落着になったこともありました
このころから、
内面の強さは少しずつ
育まれていたのかもしれません。
留学時代
高校卒業後、
両親の勧めで、乗り気ではなかったのですが、
オーストラリアのシドニーに留学しました
18歳で初めて親元を離れ、
言葉も通じない土地で暮らすのは
ショッキング、ホームシック、
不安、興奮、
などなど様々な感情が押し寄せる日々でした
食文化も日本とは大きな違いがあり、
お肉が苦手だった私は、
フライドポテトやパイなどを
美味しくいただき、
気づけば8キロ増量していました
文化や価値観の違う場所で
生活を送れたことで、
語学以外に得るものは大きかったと思います。
留学を提案してくれた両親に
今は感謝しています
美容に目覚めた
ナレーター時代
さて、
私史上最大重量で帰国してからですが、
実家の日本食に戻ったら
あっさり元の体重に戻りました
改めて食生活の影響の大きさを
実感した出来事でした。
体重が戻ってからは、
英語力を活かしてECCに就職し、
その後、友人に誘われ
イベントコンパニオンやナレーターの
お仕事を始めました。
幕張メッセやビックサイトで行われる
イベント会場で
起業の顔として商品をご紹介するお仕事です。
それまでメイクやスキンケアには
無頓着だった私ですが、
美意識の高い女子たちを目の当たりにし、
これが美容に興味を持ち始める
きっかけになりました
美容が仕事になった
30代
30歳を機に、
日本の歴史ある化粧品会社に入社し、
語学力も活かせる
社長秘書兼国際部の仕事に就きました。
この時が実質
初めての会社勤務のようなものでしたが、
社長秘書業務の他に、
国際部として海外との交渉、
広報部として女性誌編集者さんたちとの交渉、
大使館を会場に使ったプレス発表会開催など、
様々な経験をさせていただきました。
また、この会社では化粧品製造、販売の他に
エステの学校も兼ねていたので、
エステティシャンの資格も取得し、
最終的にエステティシャンの
技術指導もしていました
この頃は時間もお金も自由に使える
独身時代だったので
国内のエステ以外にも
アメリカ、パリ、フランス、モナコ、
バリ島、香港、台湾、など
海外の様々なエステも体験しました。
この頃のエステ巡りの経験は
お金も時間も掛けた分、
今でも私の宝物です
海外のメジャーブランドで
働いてみたい気持ちがあり、
チャレンジを重ね、
38歳でフランスの
某有名化粧品会社に
転職することができました。
そこでは、化粧品の知識と、
ナレーターの経験を活かし、
テレビ通販番組で商品の紹介を
することになりました。
イベント会場で話すのと、
テレビカメラに囲まれて話すのでは
全く違って、始めの頃は緊張のあまり、
ロボットのようでした
部内から厳しい指摘を浴び、
心も体もズタボロ・・・
その後、吐き気を催すほどの
厳しい練習と経験を重ね、
1日の売上3億円を達成
仲間と作り上げたこの大きな数字は
自信になりました
結婚➡退職➡
フリーランス
その後、40歳で結婚を機に退職し、
東京から足利市へ。
41歳で出産。
ぎりぎりセーフで男の子を
授かることもできました
足利に移住後、
久しぶりに会った
母や妹(二人とも超辛口)から
「やっちゃん、しわっしわだね」
「マジでやばいよ」
と言われました
住みやすく、
子育てに良い環境なのですが、
国内有数の乾燥地域だったのです
身よりのない土地で
お友達もいない、
知り合いもいない、
親族もゼロ、
日中誰とも話すこともなく、
精神的なストレスも
大きかったのだと思います
そんな中、
念願の妊娠が分かりました
そこから新しい土地で
環境の良い産婦人科を
探すという目的ができ、
私は一気に行動的になりました
カーナビを頼りに
知らない土地を右往左往
しているうちに、
土地勘もつき、
町の住民になってきたという
感覚が芽生えました
ところが
そんな矢先、
3ヶ月たっても
赤ちゃんの心臓が動かずに
流産になってしまいました
女医さんのいる
病院も見つけ、
これから!と思っていたので
本当にショックでした
当時40歳だった私は
残された妊娠のチャンスを考え
先が真っ暗でした
・加齢
・環境の変化
・乾燥地域
・ストレス
・流産
これらが重なっている中、
いつもと同じお手入れを
していた私は
いつのまにか
一気に
老け込んでいたのです
幸運にも
流産の数ヶ月後に
また妊娠することができ、
33時間かかりましたが、
41歳で男の子を
授かることができました
ほっとして
周りを見渡すと、
一回り以上若くて
キレイでおしゃれなママたちが
いっぱい
授業参観で、
「お前んちおばーちゃん来てるの?」
と言われないように、
そこから必死で
いままでの知識を掘り起こし
さらに勉強して
ホームケアしまくりました
息子のために
いつまでも若々しい元気なお母さんで
いてあげたい。という
気持ちも芽生えました
お肌の調子を取り戻した私は
テレビ出演の仕事を続けながら、
●アロマ検定1級取得
●ポーセラーツインストラクターを取得
●ポーセラーツサロンオープン
●化粧品会社取締役 商品開発担当
を経て、現在にいたります。
振り返ってみると
全部が遅めのスタート
美容に目覚めたのも20代
憧れの海外ブランドに就職できたのも38歳、
結婚も40歳、出産も41歳
ポーセラーツの資格もアロマ検定も
40歳過ぎてから取得しました。
ただ、
年齢に関係なく
思い立ったらすぐに行動すること
だけはしてきたと思います
「しわしわ」になってからでも
諦めずに
すぐに行動したことで
うるつやスッピン肌を叶えました
40歳のあのときに
諦めないでホームケアを続けてきて
本当に良かった
やっていなかったらと
思うと恐ろしいです
52才で
ミセスコンテストにも
初チャレンジすることになり
50代部門グランプリを
いただくことができました
ファイナリストのために
用意してくださる
ビューティーキャンプでは
いろいろな角度から
美しくなるための
講座が満載
いままでの
自分の美容や健康法が
正しかったことを
改めて確認できる
機会にもなりました
これからも
楽しく年齢をかさてる
工夫をみなさんと共有して
笑顔の女性を増やして
いきたいと思っています
お仕事柄
たくさんのコスメを使うので
公式ラインでは
忖度のない
本当の感想も発信しています
みなさまの
コスメ選びの参考になれば
嬉しいです
すっかり長くなってしまいました
最後までご覧いただきありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします
清水康子