聖書の御言葉: 創世記47章13節~31節
13節~26節 ヨセフの統治
非常に激しい飢饉がエジプトとカナンの全土を襲っていました。このような困難な時期に、ヨセフは神の知恵によってエジプト全土を統治しました。ヨセフの政治によって、エジプトの人々は飢饉によって滅びることなく生存することができました。ヨセフは神の知恵によって困難を乗り越えたのです。飢饉の前の7年間の豊作の間に、ヨセフはエジプト中の余った食物をエジプト人から買い取り、それぞれの町に建てた倉庫に蓄えていました。ですから、飢饉がやって来た時、エジプトの人々はヨセフから食料を買うことができたのです。集めた銀をヨセフはパロの家に納めました。ヨセフは自分の統治によって自分の懐を肥やそうとはしませんでした。それによってヨセフはエジプト人からもパロからも信頼を得たのです。しかし、やがて銀が尽きると、彼らは食料と引き替えに家畜を差し出しました。また、家畜がなくなると、彼らは食料の代金に土地を差しだしました。こうしてすべての土地がパロのものとなったので、エジプト人はパロの小作人となり、収穫の五分の一をパロに納めることになりました。
ヨセフの政治によって、飢饉という危機的な状況の中で、エジプト人は平安に日々を過ごすことができました。エジプト全土にわたって平和が支配し、暴動や戦争が起きることはありませんでした。
今の世界を見ると、多くの混乱、不安、貧困や戦争が至るところを支配しています。しかし、やがて時が来て、キリストがこの地に帰って来られるなら、主は、義と平和によってこの地上を治め、神の御心が実現するのです。神がこの地上に完全な御心が行われる日が来ることを聖書は預言しています。そして、その神の国の王として、キリストは神の知恵によって、この世界に義と平和をもたらされるのです。
「終わりの日に、主の家の山は山々の頂に堅く立ち、もろもろの丘より高くそびえ立つ。そこにすべての国々が流れて来る。多くの民族が来て言う。『さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えてくださる。私たちはその道筋を進もう。』それは、シオンからみおしえが、エルサレムから主のことばが出るからだ。主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。彼らはその剣を鋤(すき)に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」(イザヤ書2章2節~4節)
27節~31節 ヨセフの誓い
ヤコブはエジプトに移住してから17年生きました。ヨセフと再会したヤコブは、もう死んでもいいと言いましたが、神はそれからさらに17年の平安な日々をお与えになりました。しかし、ヤコブはエジプトの地があくまでも寄留の地であり、神が必ず自分の子孫たちを約束の地に連れ戻ることを信じていました。そして、アブラハムへの約束によって、エジプトでの滞在の期間が四百年であることも知っていました。そこで、ヤコブは、自分が死んだならば、自分の体をヘブロンにある、マクペラのほら穴に葬るようにヨセフに願いました。そこには、アブラハムとその妻サラ、イサクとその妻レアも葬られていたのです。ヤコブは今、寄留しているエジプトの地が永遠の住まいではないことを知っていました。そして、自分がカナンの地に葬られることで、自分の本当に帰るべき場所を信仰によって指し示したのです。このことを新約聖書のヘブル人への手紙は、彼らが「天の故郷にあこがれていた」と記しています。
「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。」(ヘブル11章13節)
「しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」(ヘブル11章16節)
そしてヤコブは、ヨセフに、必ず自分をカナンの地に葬ると誓うように願いました。そしてヨセフは、ヤコブの前で神の名によってそのことを誓ったのです。ヨセフが誓ったことにより、ヤコブは平安を得ました。なぜなら、誓いは必ず果たされるからです。イエス様は、山上の垂訓の中で「決して誓ってはならない。」(マタイ5章34節)と言われました。それは、人間の誓いは果たされないことがあるからです。ですから、いったん誓われたことは、絶対に成就されるのです。
「神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、こう言われました。『わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。』 こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。 確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません――前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側に入るのです。イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。」
(ヘブル6章13節~20節)
ヤコブがヨセフの誓いによって平安を得たように、神はご自身を指して私たちのために誓っておられます。神の約束の言葉と誓いによって、私たちは必ず永遠のいのちを得て、神の約束された御国を相続すると確信できるのです。
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