⚫︎20年程前に小倉のショッピングモールでライブをした。
その時にCDを買いに来てくれた方がいた。
そのモール内のカフェで働いている方だった。
Scenes と言う曲を気に入ってくれて、仕事の合間に買いに物販まで買いに来てくれたのだ。
その方はやがて独立してカフェのオーナーになり、そこでライブをさせていただく事になった。
⚫︎十数年前、関西でイベントに呼んで頂いた。
その時、中西圭三さんバンドでギターを弾いていた藤野恒二君。
2022年に「Moment 」と言うアルバムが完成し、彼に聴いて欲しくて音源を送った。
それを気に入って頂き、一緒に演奏する事に。
それから彼の人望で大阪に素晴らしいバンドが集まり、関西ツアーを回り、広島のワンマンライブもサポートしてくれている。
⚫︎黒崎にレギュラーで出演させて頂いているライブバーがある。
ある方のオープニングアクトを務め、初めて訪れた。
そこでライブを、とりわけ「たしかなこと」と言う曲を気に入って頂き、その後結成した江頭つとむとローレンズのライブには毎月お店のお客様が集まってくれて笑ったり泣いたりしてくれている。
⚫︎5年程前、京都のシンガーソングライターさんが福岡のライブバーにツアーにいらっしゃった。
僕は客としてそこにいた。
僕が帰ろうとするとマスターが「つとむちゃんなんか歌って行き〜」的な事をおっしゃって、「シアワセノシルシ」を歌った。
その時たまたま居合わせた方と動画のコンテンツ(僕がナビゲーター役)や、関西でのライブイベントで関わらせて頂いている。
⚫︎2017年のMDRT日本会が福岡で開催された際にテーマソング「One Step」を作った。
あるMDRTメンバーの方が涙を流してその曲を聴いてくれたそうで、メールを頂き知り合った。
今、彼のラジオ番組でナビゲーターを担当したり、ワンマンライブライブの際はその番組や彼の会社に遠慮なくスポンサーになってもらったりしている。
これらはほんの一部だが、全て40歳を超えてからの出来事。(出会いは除く)
僕は25歳で音楽を始めた。
2000年当初25歳は、ミュージシャン目指して上京したけど音楽諦めて帰ってくる年齢、位な風潮ではなかったか?
僕も
「30歳まで芽が出なかったら」
「40歳位で辞めようか」
なんて漠然と考えたり、42歳の時に本当に辞めなきゃいけないと思った事もあった。
けど、辞めなかった。
辞める勇気が無かったことを、今はとても良かったと思っている。
芽が出るって、なんだろう?
上に書いた今の活動に繋がるご縁は全て「曲」が繋いでくれている。
受賞歴、タイアップ、メディア出演、、
自分を少しでも大きく見せようとしたプロフィールの何倍も「曲」が僕と音楽を繋ぎ続けて来てくれたと思っている。
(プロフィールもメディア出演も大事ではある)
「諦めない」と歯を食い縛るのも良いが、
それに疲れたとしても
「ただ辞めない」と言う形で続けてさえいれば、良い事は沢山待っているのかもしれない。
勿論、音楽が「好きである」事が前提の話なんですけどね。