ど底辺血みどろ電ノコ悪魔。

 

このキャッチコピーに尽きると思う。

 

 

 

はじめての電子書籍

 

最近話題の漫画『チェンソーマン』を読んだ。

 

"紙の本を買いなよ"派の自分にとって、連載漫画を最初から最後まで電子で読んだのは初めてだったんだけど、そんなことはどうでもいい。

 

 

鬼滅といい呪術といい、このところジャンプ漫画ブームでなかなか本屋で紙の本が手に入りにくくなってるからなあ。

 

在庫という概念がないという点で電子はいいツールだと思う。

 

 

 

チェンソーマンって何がすごいの?

 

1〜10巻までは一気に、最終巻は昨日出た瞬間に買って読んだ。

 

 

というのも、ストーリーが常に息つく間もない怒涛の勢い、クライマックスといった感じなのだ。

 

次のページの予想が全くつかないという点ではネウロのようでもあったけど、この"読者の予想を裏切り続ける"というのは至難の業だろう。

 

 

特に最近の若者は幼少期から大量のコンテンツに触れていて目が肥えている。

 

大抵のストーリー展開は予想され、"ああ、やっぱりそうなるのね"と思われてしまうことだろう。

 

なんともクリエイター泣かせの時代だ。

 

 

読者の予想を裏切ることだけを考えすぎてストーリーが破綻してしまう作品も多々ある中、『チェンソーマン』は何重もの裏切りを起こしつつ漫画としてのクオリティーやブランドを当然のように維持し続けていた。

 

これが作者の血の滲むような努力の結果なのか、はたまたリアル狂人の所業なのか。

 

多分、後者だ。

 

 

 

チェンソーマンは絵がすごい!

 

最終巻が出るまでの繋ぎとして、同作者の前作『ファイアパンチ』も読んだが、まず絵の違いに驚いた。

 

 

チェンソーマンの思い切った太い線でグロテスクさと猟奇性を感じさせる画風とは打って変わって、筋肉や炎を細部まで書き込んだ繊細でリアリティに満ちた劇画タッチの絵。

 

とても同じ人間が描いたものとは思えなかった。

 

もちろんジャンプ+と本誌では作業環境やペースも違うだろうし、アシスタントも入れ替わってるだろうから多少の変化があって当たり前なんだろうけど、これはおそらく意図的に作画を変えている。

 

作品の雰囲気に合わせて、絵を別人レベルまで変化させられるのだ。

 

 

どう考えても普通じゃない。

 

 

 

チェンソーマンはストーリーがすごい!

 

さて、話を元に戻そう。

 

ストーリーが読者への裏切りに満ちていると言ったが、この裏切りに関しては他人があーだこーだ言ってる感想を見るよりも実際に自分で漫画を手にして体感してもらいたい。

 

 

ネタバレにならない程度に簡単に言うと、

 

 

① おっ、このキャラは魅力的だな。きっと最後の方まで主人公の良い味方になってくれるんだろう → なんか次のコマで死んでる

 

② 強そうなキャラがいっぱい出てきたぞ。これはONE PIECEの頂上決戦みたいな大混戦になるのかな → なんか次のコマで全員死んでる

 

 

"悪魔"という不老不死の存在がメインである以上、命の価値が軽くなるのは当然なんだろうけど。

 

にしてもよくキャラが死ぬ。

 

 

おちおち"推し"なんて作っていたら身が持たない。

 

ハロウィンのことしか考えられなくなっちゃう。

 

 

 

 

「メインになりそうなキャラをあっけなく退場させる」

というのは、読者をびっくりさせたり敵の強さを強調したりするための技法として5年くらい前からいろんな漫画で用いられているけど(テラフォーマーズとか)、チェンソーマンに関しては技法云々じゃなくて単純にキャラを殺すことを楽しんでるんじゃないかと思う。

 

多分、作者にとって"好きなキャラ"とか"大切なキャラ"なんてのはいなくて、全てがストーリーを前に進めるための傀儡に過ぎないのではないだろうか。

 

 

 

鬼滅、呪術、そしてチェ。その共通点と本質の違い

 

それこそ、鬼滅、呪術と最近話題のジャンプ漫画は共通して"人気キャラを容赦無く殺す"という風潮があるが、それぞれそのモチベーションは本質から違う。

 

 

鬼滅の吾峠先生はなんだかんだキャラクターのことを愛していて、それゆえにキャラが作者の意思から独立して動き出した結果、命を落としてしまうって感じ。

 

原稿にペンを入れながら号泣してそう。

 

 

呪術の芥見先生はおそらく特級呪霊で、キャラをたっぷり魅力付けして読者の好感度を高めてからぶっ殺すことに快感を得てる感じ。

 

原稿にペンを入れながら暗黒微笑浮かべてそう。

 

 

そんな二人に対して、チェンソーマンの藤本先生は多分リアル狂人。

 

多分泣きも笑いもせず、ただやりたいようにやった結果魅力的なキャラが生まれては死んでを繰り返している。

 

 

どう考えても普通じゃない。

 

 

まあ、主人公のモチベが仲間を守ることでも世界を救うことでもなく"女の子のおっぱいを触ること"な時点でこれまでのジャンプ漫画の常識が通じないのはわかりきっていたはずなんだけど・・・。

 

持ち込まれたこの漫画に可能性を見出した編集さんも、GOサインを出した編集部も賭けだったろうな。

 

 

 

チェンソーマンは漫画としてのクオリティが高い!

 

ここまでさんざん作者の狂気性を説明してしまったが、漫画としてのクオリティもエグいのでそこは勘違いしないでほしい。

 

けして、単純な狂人のお遊び漫画で片付けられる代物ではない。

 

 

見開き1ページの戦闘の構図のセンスはずば抜けているし、"絶望感"や"恐怖"を掻き立てる表現技術も一級品だ。

 

 

自分が特に好きなのは、銃の悪魔が日本に上陸するシーン。

 

ページ全体を死者の名前で埋め尽くすという手法には本当に震えた。

 

漫画というツールの持つ特性を最大限に活用し、新たな可能性が提示された瞬間だったと思う。

 

 

あの場面をMAPPAがアニメでどう表現するのかに注目したい。

 

 

 

最後の展開についてはネタバレの塊になってしまうので明言は避けたいが、いわゆるラスボスの倒し方もこれまでにない(探せばあるのかもしれないけど、少なくとも少年誌でやろうとは誰も思わない)ものなのでぜひ最後まで読んでほしい。

 

 

無論、一度手をつけてしまえばその勢いと狂気に飲み込まれて最後まで行ってしまうことはわかりきっているのだが。

 

 

余談

 

チェンソーマンの作者・藤本タツキ氏の狂人エピソードに関しては調べたら面白いものがたくさん出てくるのでオススメ。