対馬の北の山の奥深いところに
大正時代の小学校跡地の立て札を見つけました。

携帯も通じず、道は狭く、道路は獣で荒らされています。
私が車で運転するものなら、山中で道に迷います。

大正時代、山林伐採、製材、炭焼きなどの仕事に
大分県からの移住で40~50軒の住居があったようです。

1年から6年まで22人あまりの児童が
分校にいたと記されています。

現在は人も全く行かない地域ですが
当時は店もあり、芝居の一座もやってきたと
書いてあります。

対馬の人口は7万人あまりいたころがありました。
現在は3万人あまりです。
そのころは韓国人も山奥に住んでいました。
主に木炭業をしていました。
住まう人はいなくても桜が咲いています。
100年前にこんな山奥にも人が生活していたのです。
想像すると人々の笑い声が聞えたような気がしました。