父に逢えた | 対馬シーロード

対馬シーロード

国境の島:長崎県対馬市から発信。
朝鮮通信史絵巻の人形300体を制作中。
















     


今日はお中日でした。

23日は日曜日で私もゆっくり出来て

午後からは実家に姉弟が寄りました。

イメージ 1

(来春17回忌になる父の若いころの写真)

対馬は昭和40年ごろまでは漁の最盛期でした。

対馬の人口は7万人を越えていました。
(現在は3万人)

当時網元をしていた実家は水産製造業にも力を入れて

当時30人からの人を使用していました。

戦時中は魚製造工場の煙突を3本ほど解体して

アメリカ軍からの襲撃をさけたそうです。

写真の様子から見て取れることは

「塩さば」の加工と思われます。

肩に背負っている樽には粗塩が写っています。

父が独身か、私が生まれていたかは解りません。

あまり笑わない父の写真が新鮮で今日は

わが年を忘れて恋人に逢った気分です。

画像が動いて私の方を見てくれると嬉しいけれど。