対馬物語が11月27日 東京早稲田大学大隈記念講堂で15時開演です。
対馬でこの舞台を見たとき東京公演を強く思いました。
そのとき今は亡き橘厚志さんとそのことを熱く語りました。
「橘さん、団員の皆さんも私と同じ気持ちと思います。
もうあなたは家老役で出演できませんが東京公演天国から見てください」
2015年5月30日の対馬シーロードブログより。
対馬物語
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対馬市民劇団「漁火」ミユージカル 日韓友好の集い記念公演 漁火のみなさん、素晴らしい公演ありがとうございました。 2015年5月30日。会場 対馬市交流センターイベントホール。 会場入り口にて皆さんをお出迎え 幕にも朝鮮通信使の絵巻。 韓国の舞踊。音楽や舞踊、絵など芸に関することに国境はありません。 女性の美しさ最高。 私は女に生まれて良かったです。 男に生まれていたら女たらしで身持ちの悪い人間でしたでしょう。 対馬の民謡を対馬のオナゴシが披露。 色気たっぷりの韓国舞踊。 公演終了。 コーラスも素敵でした。 舞台の皆さんの感動が伝わります。 成功ですよ。 韓国舞踊団からも挨拶 対馬は韓国と共に生きてきたのですね。 新しく完成した ふれあいどころ対馬 の一部より。 戦国時代19代 宗義智公に小西行長の娘のマリアが嫁ぎます。 その婚姻は豊臣秀吉の朝鮮出兵の野望でもありました。 6年間に及ぶ「文禄、慶長の役」は秀吉の死をもって収拾されます。 その後関ヶ原の戦いで小西と姻戚関係で西軍となり負け戦となります。 徳川からマリアとの離縁が言い渡され、 娘二人を連れて対馬を出されます。 長崎に送られ悲劇の人となります。 そのご徳川より朝鮮国との和平交渉の大役が任ぜられます。 裏切り者の対馬を朝鮮は受け入れず対馬の和平使者は幾度も 帰らぬ人となります。それでも対馬藩は和平を求め続けます。 徳川と朝鮮との間にはさまれて、ここに国書を対馬で書き換えてまで 国交回復交渉が成功して1607年朝鮮通信使を 迎えることになります。 朝鮮通信使は260年間両国に平和をもたらしました。 世界史でも260年も平和が続いた記録はありません。 公演を見ていて涙が出ます。悲しいのでなく対馬への思いです。 漁火のみなさんこの公演は中央、東京ですべきです。 こんな小さい島 対馬が日本を背負った時代が あったことを講演するために。 漁火の公演をぜひ東京で。 |












