元寇古戦場
1274年文永の役 10月5日
小茂田浜に 3万あまりの元の軍隊と900隻の軍船が対馬と壱岐を
荒らして19日には博多湾に攻め込みました。

20日には博多上陸、その夜嵐が起こり元の船は沈み
1万3千の兵士は死にます。

対馬はわずか80余騎で迎え撃ちました。

左側に浜が開けています。






「ガンゴウがくる」と子供の時、言い聞かされてきました。
「元寇が来る」が「ガンゴウ」になったとおもいます。
700年あまりもその怖さが言い伝えられてきました。
船べりに対馬の女の人をたくさん貼り付けて壱岐に行き,
壱岐からも同じことをして博多港に行ったと聞きました。
福岡の「防塁」は今も残る地名です。
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朝鮮通信使は血を流すことなく信意を交わすことで韓国と平和が続きました。
韓国について政治や思想は私は語りませんがそのものの、平和については
子供たちに語りたいのです。
「平和に命をかけた朝鮮通信使」の事を。
3万の軍隊と900隻の軍船を、わずか80余騎で迎えた対馬藩。
その後国境の対馬藩はその恐怖におびえながら、生きてきたのです。