感じることが年齢で違ってくる
今年は水仙の咲がよくなかったです。
南天の木の間から…私を覗いて見ているような姿に・ついほほ笑んで。笑

1パーセントでも私の心を動かせたものは、メモしたり、切り取ったり・・・
机のシートの下はそんなものを たくさんためています。
そのメモのコピーより。
「出典はアメリカ南北戦争の無名兵士の言葉。とありました。」
大きなことを成し遂げるために,神に強さを求めたのに、
謙遜を学ぶようにと弱さを授かった。
偉大なことを行うため、健康にと願ったのに
より良きことをなすようにと、病気を賜った。
幸せになろうとして、お金持ちになることを求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世間の人々から賞賛を得ようと、権力を求めたが
神の慈しみを感じるようにと、弱さを授かった。
人生を楽しむために、あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを楽しむためにと、人生を賜った。
求めたものは一つとして与えられなかったが
図らずも私の言葉にしなかった、多くの願い事への答えを賜った
私は、だれよりも贅沢に祝福されたのだ。
作者不詳
このメモに気が止まったのは5年ほど前で、その時はとても感動しました。
その後何度か読んで・・・・しばらく忘れていました。
皆さんどのようにお感じですか。

「感じる」と言うことは面白いです。
同じもの見ても、読んでも 見る年齢で見方や感じ方が違ってくることを
この年で知りました。
この二輪の水仙をみて、あなたは何を感じられますか。
私の水仙は必ず二輪で咲いています。笑。