対馬圓通寺宗家墓地 | 対馬シーロード

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国境の島:長崎県対馬市から発信。
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室町時代前期 宗家三代の墓

8月13日 檀家はお寺に参ります。

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お寺にあるご先祖の祭壇にお供え物をしてきます。

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鐘は下朝鮮の意匠にデザインされたもので、花弁帯、雲唐草、

蓮蕾乳、菩薩 四天王などが装飾に見られる貴重な文化財です。

圓通寺の裏に対馬島主 宗家の三代の墓が残っています。

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室町時代前期の宗家三代の墓地です。

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イノシシや鹿に裏山が荒らされています。

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その後の宗家の墓地は 厳原町の万松院にあります。

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石に刻んである文字が風化して読めませんが、

対馬に渡って 三代までの一族のお墓です。

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子供や婦人らしき墓があります。

いつの時代もいろいろな苦難を乗り越えてきたことが読めます。

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墓石は500年~600年前の石と言うことになります。

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応年15年(1408年)筑前から対馬に渡った藩主宗貞茂(7代)が

屋形を三根郷佐賀に構え、貞国(10代)が府中(厳原)に屋形を移すまで

78年間対馬統冶の府とされました。