長崎 にこり №09 平成23年9月発行
先日 にこりの№27を載せましたら 知り合いが№09を届けてくれました。

なぜ対馬の表紙がチョゴリと思ったら。
(厳原港まつり対馬アリラン祭りの韓国からの参加者が着る。)と説明。

1274年10月5日、対馬は元と高麗の連合軍の襲撃を受けました。
厳原町 小茂田浜神社では毎年11月に慰霊の大祭が行われます。

歴史を変えた国書偽造には、対馬存亡を賭けた決断がありました。
左うえの角印が 為政以徳印。

厳原町の事を 城下(ジョウカ)と昭和30年ごろまで呼んでいました。

浅茅湾(アソウワン)。

左上の 杉焼き料理 は朝鮮通信使にもっとも好まれたと言う日本料理。
季節の野菜や魚介類を杉の薄板に包み蒸したものです。

住居でなく倉庫に使われた。特に下対馬の椎根地区に残っています。
強い朝鮮風は北海道より冷たいと言われます。

対馬の鍛冶職人。

日本一おいしいと言われる 対馬の塩。
以上 にこり の説明です。
対馬は韓国に近いのですが、文化は純粋な日本文化です。
対馬をよく知らない人が、対馬を誤解して日本でない言い方をされる
事がありました。
対馬の人は口にはしませんが、そんなことが対馬の人が対馬を誇りに
出来ない大きな原因と私は思います。
私は島外から来られた人によく質問するのが、
島民に何を感じられましたか。
①対馬の人はお人よし。②対馬を誇りに思ってない
③研究心がなく、粘りがない ④成功する人の足を引っ張る
⑤熱心さがなく、できないことから言いだす
⑥成功した対馬出身の人が、対馬を口にしない。
長崎県でも 壱岐 五島 の人は対馬の人とは同じ島育ちですが
違うように私は感じます。
国境の島と言う存在がそうさせるのかも知れません。