対馬のむかし話
対馬市峰町佐賀に、小姓島と言う小さい島があります。
満潮の時は歩いていけませんが,潮がひくと浜になり、歩いて渡れます。
むかし対馬島主,宗義智の小姓に、長、九八郎がいました。時は朝鮮出兵に
加藤清正も佐賀で出陣を待ってました。その一行に加わる小姓の、長,九八郎は
府中(対馬市厳原)で島主の命を受け佐賀に、夜通し走り続けました。
しかし、佐賀に着いた時はすでに、船団は出航した後で船影は見えるものの
(お待ちを-、、、)【おーい、、おーい、、、、】叫ぶけど、届かず、、、。
悲痛なまでの叫び、叫び続、、ありったけの声えを出し切り、、あああ、、、
海岸沿いにこだますれど、、、その時小島に登り、また叫ぶ何度も、何度も、、
命尽きるまで、叫んで、叫んで、、、、
このことがあって村の人は,小姓のことを哀れみ、この島を小姓島と
呼ぶようになりました。この島からは4月27日のブログでお伝えした弥生中期後半
の遺跡も出土してます。

左に見える島に駆け上がり、叫んだといわれてます。この時代まで宗家は佐賀でした
その後、厳原に移りました。佐賀の円通寺には宗家3代の墓地があります。
また朝鮮通信使の先駆けの人といううべき,李芸氏の碑があります。