対馬のむかし話 | 対馬シーロード

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国境の島:長崎県対馬市から発信。
朝鮮通信史絵巻の人形300体を制作中。
















     


           対馬のむかし話

対馬市峰町佐賀に、小姓島と言う小さい島があります。

満潮の時は歩いていけませんが,潮がひくと浜になり、歩いて渡れます。

むかし対馬島主,宗義智の小姓に、長、九八郎がいました。時は朝鮮出兵に

加藤清正も佐賀で出陣を待ってました。その一行に加わる小姓の、長,九八郎は

府中(対馬市厳原)で島主の命を受け佐賀に、夜通し走り続けました。

しかし、佐賀に着いた時はすでに、船団は出航した後で船影は見えるものの

(お待ちを-、、、)【おーい、、おーい、、、、】叫ぶけど、届かず、、、。

悲痛なまでの叫び、叫び続、、ありったけの声えを出し切り、、あああ、、、

海岸沿いにこだますれど、、、その時小島に登り、また叫ぶ何度も、何度も、、

命尽きるまで、叫んで、叫んで、、、、

このことがあって村の人は,小姓のことを哀れみ、この島を小姓島と

呼ぶようになりました。この島からは4月27日のブログでお伝えした弥生中期後半

の遺跡も出土してます。

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左に見える島に駆け上がり、叫んだといわれてます。この時代まで宗家は佐賀でした

その後、厳原に移りました。佐賀の円通寺には宗家3代の墓地があります。

また朝鮮通信使の先駆けの人といううべき,李芸氏の碑があります。