起きるとすぐに昨日のことで気づくことがあり、
やっちまったなという気づきと、
楽しかったからいいじゃないかという二つの気持ちがありました。
正観さんは「反省しなくていい」と仰られましたが、
起きたことはそういうシナリオだったということですし、
それを今更変えることが出来ないのだとしたら、
そこを引きずらないで次のチャンスには変えるようにしたらいいだけ。
反省することで「まずかったこと」に引きずられるようなら、
反省なんてしなくていいし、
そうなったということは「そういうシナリオ」を書いていたからで、
書いたのは誰あろう自分ですからね。
そういう気持ちで開いた本のP168
子どもが不登校になったら、
「放っておきなさい」。
子どものことをオロオロ心配して、
ついでにあらゆることに愚痴を言う。
そんな役回りから脱却して、
親は自分が太陽になってみたらどうか。
今朝の私の反省もそこにある気がします。
「明るさ」「温かさ」「やる気を起こさせるもの」の
三つを持つことが「太陽になる」ことの本質です。
太陽になるためには、まず自分が明るく、楽しくなること。
不登校のことを心配したり、
愚痴を言って暗くなるのではなく、
そのことは置いておいて、自分自身が変わってみましょう。
それが第一歩です。
いつもニコニコして「空がきれいだ」「花が美しく咲いた」
ということを喜ぶようにしたらいかがでしょうか。
春の季語でもある「おちつばき」
椿が落ちたら春が来る。
桜は散る、梅はこぼれる、椿は落ちる
花の終わりを表す言葉です。
散るだけではなく、こぼれたり、落ちたり、
大輪の牡丹はくずれる、
多様な表現があるのも日本語の豊かさ面白さであり、
日本の終わりの美学なのでしょう。
AIさんにはこうありました。
椿が落ちる様子は、
人生の「終わり方」や「死生観」と結びつけて語られることも多く、
非常に印象的で情緒のある光景として日本人に愛されてきました。
つづく



