ヨハネ福音書1章1-3節

「初めにことばがあった…」

      

先日、一歳を迎える孫の動画が送られてきました。「ムグムグ、ぶあァ~」と意味不明の言葉を一生懸命発している姿を見ながら、思わず微笑んでしまいました。子どもは1歳近くになりますと、盛んに自分の足で立って歩もうとし、言葉らしきものを話すようになります。

言葉は、口から発する手段ばかりでなく、手話や筆記を用いてでも、相手に伝えることができます。

 文化の歴史は、言語によって広められ構築されてきました。言葉はコミュニケーションを育て、意思伝達の役割を担っています。

 

1.初めに、ことばがあった

上記の言葉から連想されるのは、創世記の1章1節の「初めに、神は天と地を創造された」の書き出しです。

ヨハネは、“ことば”の存在が永遠の昔からあることを述べ、創世記の記者は神が“言われた(仰せ)”ことばによってあらゆるものが創造されたことを記しています。“ことば”は天地創造前から存在されておられました。

ヨハネは他の福音書の書き出しとは異なるスタイルで、この福音書を読む人々に対して、神の御子である主イエスを紹介しています。

主イエスの生涯を思う時、人としての出発に重きが置かれてしまいますが、神の意志を伝え、神の思いを理解させる永遠の存在である“ことば”=主イエスが描かれています。

 

2.ことばは神と共にあり

  ヨハネは主イエス・キリストの神性をここで明確に述べています。皆様は、聖書には出ていませんが「三位一体」ということばをご存知でしょう。それは「神はその本質的存在においてただ一つであるが、この唯一の存在の中に、父と子と聖霊なる三位格が存在する」という教理です(「聖書辞典」)。

 創造の時も、“ことば”は神と共にあって創造の働きに関与されていました。また主イエス自身のバプテスマに際しては、バプテスマを受ける御子に対して、天から「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という御父の声があり、そして鳩のような形をして主イエスに上に下られる聖霊として、三位格それぞれの存在が明らかにされています。

 

 3.ことばは神であった

先に述べましたが、ヨハネはその福音書で「…これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」と述べているように、多くの人々がイエスが神の子キリストである事を信じることにこの福音書の目的がありました。

生きる目的を持った存在には何らかの伝達機能や方法が備えられていると思います。特に、神に似せて作られた人間にとって“ことば”は欠かせないものです。

 鋭くきついことばに人は傷つけられ、優しく思いやる言葉に癒されます。言葉はその人格や品性を表わします。