マルコ福音書4章3-7,18-19節

「思い煩う心」

      

皆様には、なかなか眠れない時がありますか?私は、年に数回ですが寝付けなくなる時があります。心配事や困りごとが、頭の中をぐるぐる回り出すと、朝方まで寝付けない時があります。

実は、不眠症の原因の多くは、ストレスによるものとも言われており、この寝不足、不眠症によって社会全体に大きな問題を引き起こしていることに、多くの人は気づいていません。

 今日の学びは、主イエスが集まった群衆たちに、舟の上から語った「いばらの地に落ちた種」のたとえ話です。種はいばらによって成長が阻まれ実を結べませんでした。

 

1.いばらの働き

まずここで種が実を結ぶのを阻んだ「いばら」とは何かを考えてみましょう。主イエス様の解説では、「いばら」は「世の心づかい(思い煩い)、富の惑わし、その他いろいろな欲望」と説明されています。

確かに、思い煩いや惑わし、そして欲望は私たちの心や魂を掻き立てる同時に、疲れ消耗させ、本来向かうべき目標への道筋を狂わすには持って来いのツールです。

どうでしょう、私たちを苦しめ悩まし、そして惑わし、欲望に走らせる人生の結末は、既に見えていると思います。このいばらの存在が問題であり、私たちの人生の結実を妨害する張本人なのです。あなたがもし農夫ならば、いばらとの共存共栄を望まないでしょう。

 

2.思い煩いの正体

  「思い煩う」とは、あれこれ考えて悩み、困り苦しむことを言います。精神的な苦悩が多いと思われます。この「煩う」の漢字の成り立ちを見ますと、「火と頁(頭)で、火のように頭がいらいらする」(「漢字源」)とあります。

 ここで新約聖書中の事例(ルカ10:38-42)を見てみましょう。ベタニア村で姉妹マルタとマリヤがイエス様一行を家に招き接待したときの出来事です。マルタは色々と気を使い接待の準備をしている間、妹マリヤは主イエスの話にじっと耳を傾け聞き入っていました。それを見たマルタは、自分を手伝わないマリヤに不満を持ちました。ここで主はマルタに「色々なことを心配して、気を使っている」と諭しました。

 

 3.今を大切にする

「あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています」―まさにマルタはイライラ状態でした。問題は、自分の役割や奉仕の在り様を見るのではなく、他者との比較でマリヤを批判的な目で見ていたことです。イライラの原因はマリヤにあるのではなく、マルタ自身の心にあったのです。

「思い煩い」には「心を分ける」という意味があります。まさにあれもこれも、今も未来も、全てを欲する欲望の姿です。

思い煩うことから解放されるには、自分の力に頼りすぎない事です。そして目標に向を一心に見つめることです。あれもこれもではなく、今を、今日をかけがえのないものと受け止め、結果を神様に委ねきることです。