ヨハネによる福音書21章20節

「主に愛された弟子-ヨハネ」

      

いよいよ長かった旧約聖書の学びから新約聖書の福音書へと変わります。戦いが多かった旧約に比べ、救い主イエスの歩みを身近な者として見聞きして記しています。

主イエスの救い主としての歩みを記している点では、マタイ、マルコ、ルカと同じように“福音書”のくくりに入りますが、他の福音書とは共通の観点が少なく、共観福音書とは別扱いになっています。

 マタイとルカはそれぞれ、「王」、「人の子」として表している訳ですから“系図”は必須項目です。しかしマルコは「僕」、ヨハネは「神の子」を表すわしており、僕にとって家系などは意味がなく、神の子は永遠の存在ですから人間が必要としている系図は無用です。

 

1.ヨハネという人物

ヨハネ福音書の1章1節は「初めに、ことばがあった。ことばは神と共にあった。このことばは神であったあった」と記されています。「ことば」とはギリシャ語で「ロゴス」と言い、宗教的、哲学的思想を含んだ言葉で、ユダヤ人もギリシャ人も「ことば(ロゴス)」と聞けば万物の出発点と理解していたのです。ここから世界宣教への意識が見て取れます。

一介の漁師であったヨハネの視座は、主イエスから離れることなく、一心に見つめていました。主エスに近く歩み、十字架を最後まで見つめ、その復活の証人となったのです。

 

2.ヨハネの召命

 ヨハネが登場するのはガリラヤ湖の海辺で兄弟ヤコブと共に舟の中で網を繕っている時に、主イエスに呼ばれ従って行った場面です。 父親のゼベダイは舟を所有し雇い人もいたようですから、それなりに裕福な家庭だったと思われます。

召命とは、“ある使命のためにその人を招く、召し出すこと・神様から一つの使命、仕事を与えられること”を言います。

ヨハネはここで初めて主イエスに出会ったように見えますが、バプテスマのヨハネの弟子として以前に面識があったようです。

 

3.ヨハネ福音書の目的

ヨハネが召命を受けたその使命は明確です。一介の漁師がユダヤ人やギリシャ人に対して分かりやすく主の福音を書き記した理由に、彼が神様から受けていたビジョンと使命がありました。「…これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」(ヨハネ20:31)。

ヨハネは主イエスの弟子たちの中で一番長生きした人物であり、主を身近に見てきた弟子でした。彼は後の手紙にこう記しています―「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」十字架上で主イエスは、この愛を知っているからこそこの弟子に母マリヤを委ねられたのでしょう。