今巷では新コロナウィルスの感染拡大とオリンピックの開催につて不安や心配が囁かれています。拡大がまだ続いている中で、先日、WHOより“パンデミック”(ある感染症(伝染病)の世界的な大流行を表す語句。語源は、ギリシア語の「πανδημία(ラテン文字表記:pandemia パンデミア)」であり、「παν(pan, 全て)+ δήμος(demos, 人々)」を意味する。)であるとの宣言が出され、一部の国や地域ではなく世界的規模の問題であり解決すべき課題との認識が示されました。恐れていたアフリカへの感染が確認されと言われていますが、心配です。

1. 力の威力
この世界をリードしている国に共通していることは、経済力と軍事力を持つ国と言っても間違いではないと思います。つまりこの世の力の所持です。
確かに財力があれば貧困に苦しんでいる人々を救ことができます。それは医療、教育、技術、環境、インフラ等、多方面にその影響を及ぼすことができます。又資源があっても、その資源を生かす能力と技術力がなければ、その資源を活かすことができません。
助けを必要としている人がいるとしましょう。その人を助ける側には助け出す力が必要です。
今日の学びの箇所では、ダビデを救い出す神様の力強い姿が描かれています。
 
2.弱い時に攻撃される
  主イエスが試みに会われたとき、40日40夜に渡る断食の後でした。悪魔は主イエスの空腹時を狙って、「あなたが神の子なら、この石にパンになるように、命じなさい。」と誘惑しました。なんでも思い通りに奇跡を使うのであれば、労したり考えたりする意味がなくなります。ましてや、父なる神の御意を伺わずに自分勝手に奇跡など、御子にはできません。
 弱っている時、苦しんでいる時、望みを失っている時、それはその人にとって危ない時ですが、同時に強くなるチャンスでもあるのです。ダビデは「災いの日」に「大水」という大変な試練を受けましたが、神様が「支え」となってダビデを守り、強め、絶望より引き上げてくださいました。

神による救い
信仰のヒントとして、周りに助けを見出せないとき「上を見上げることです」と教えられてきました。八方ふさがり、万事休す…このようなときほど助けが必要なのです。ダビデは敵の攻撃や圧力を「大水」と表現しています。神様は、溺れ沈んでいるダビデに手を差し伸べ、その危機から救い出し、「広い所」である安全な場所へと連れ出してくれました。
「引き上げられ」「救い出され」「連れ出され」「助け出され」たことは全て、ダビデの自力ではなく、神様がその力によって保護されたことを意味しています。神様は何故ダビデをこのように救ったのでしょうか。神様はダビデの「ささえ」であり、「主がダビデを喜びとされた」からです。