ヨハネ福音書1章4-5節

「闇に打ち勝つ光」

      

前回、私たちは、「ことば」すなわち「神の御子なる主イエス・キリスト」について学びました。その3節には「すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」という、救い主イエスの、永遠の神としての創造にもかかわっておられる姿をも見ることができました。

 主イエスは、最初の人間の創造にも関与され、その人間の人生にも深くかかわっておられます。ヨハネは共観福音書とは少し視点を変え、書き残された部分に焦点を当てながら、「神の子」の働きを述べています。

 

1.このかたにいのちがあった

上記の言葉から思われることは、漠然と物理的に生きているのではなく、生き生きとした生命力・パワーに満ち、目的や使命感を含有し、他者ともその命を分かち合えるようなイメージが伝わってきます。

主イエス様が筋骨隆々であったかは定かでありませんが、30才まで大工に関わっていたことから、青白い痩せた容貌とは思えません。

主イエス様に、いのちやエネルギーが満ち溢れていること考えてみましょう。数多くの奇跡や、罪人をきよめ、救いを与えられるのも、力のあってのことです。そして、十字架において贖いの死をなし遂げ、そして復活されたことは、いのちを持っておられる証明でした。

 

2.闇と光

  この世はある意味、闇と光に二分されます。明るい黒やくすんだ白、つまり灰色の存在が認められますが、神様のご性質から考えますと、義と悪、聖と汚れは相いれないものであり分離しています。

しかしこの世は、二つの世界が混然一体となっているように思えますが、光に満ちている“神の国”が仮想としてではなく、現に存在しているのです。ある時、主イエスがパリサイ人から「神の国はいつ来るのか」との問いに、「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。」と答えられました。

 

3.闇は光に勝てない

大切なことは、私たちの心の中、その生活の中に、神様のルールがあり、人と人とが結びつき、それぞれに生きる目的があり、愛を動機として歩む、そのような世界は、まさに“神の国”です。そこに住む人は神の国を慕い愛し、義を求めます。

確かに、神の国の人口は少ないと思います。しかし、周りが真っ暗闇であればあるほど、星の光は燦然と輝きます。暗闇が全てを覆っていたとしても、マッチ一本の灯を消し去ることができません。

その光には希望があります。私たちにとって主イエス・キリストの復活は光であり、闇の中に輝く希望です。この世は確かに闇ですが、私たちが世の光であることを覚えましょう。  

■ 降雨で鬱陶しい毎日

先週の日曜日は、真夏のように晴れて暑い日でしたが、その日以外はシトシトと

降る雨の日が続いています。

何かと気が滅入る日々を過ごしがちですが、♫数えてみよ主の恵みの賛美のように、日々の恵みを見つけて感謝するのは、どうでしょうか?梅雨明けは月末になりそうですが、豪雨に被災した地域の早期の復興を心からお祈りいたします。梅雨明けまでもう少しの辛抱😊

 

■  コロナ感染が拡大中です

日に日に感染者数が増加する傾向に不安が募ります。各人そして教会も一層の感染対策を取って、礼拝の維持に努めて行きたいと思います。お祈りください。

 

■ ボリビアの「MEGUMI」報告が届いています

ボリビアの女子自立支援施設より近況報告が届いています。ボリビアでもコロナ禍により生活環境が変わり、3月中旬より施設に対して厳しい隔離措置がとられ、外出が厳しく制限されているとのことです。

レポートは掲示板に貼ってあります。是非、「MEGUMI」とその奉仕者及び入所者の為にお祈りください。

 

■ 広島のK先生より説教要約が届いています。

掲示板をご覧ください。

 

■ 教会の聖書を、新しく8月より「新改訳2017」に少しずつですが入れ替えて行きます

作家の角田光代さんが、朝刊連載小説「タラント」が18日から始まる。『源氏物語』の現代語訳に専念していた著者が、5年ぶりに挑む長編小説。(「読売新聞」)

 「タラント」とは、聖書にも出てくる言葉で、“才能”や“賜物”の意味。本人も、「私はキリスト教徒ではありませんが、最近『与えられたもの』といったことに興味があります。何かを与えられ、それを生かすとは、どんなことなのか。書きながら考えてゆくのでしょう」と述べています。

 このタラントという言葉は、普段“タレント”として、「芸能人。特に、テレビ・ラジオ番組に出演する歌手・俳優・司会者や文化人など」を指すのに使われています。

しかし、一般社会で「タラント」と、聖書に出てくる言葉を用いていることは、とても喜ばしいことです。特に、私たちは、タラントの譬えからも示されていますが、神様から賜わる能力や才能を、何のために用い生かすのか、これはクリスチャンにとっても大きな課題です。

ヨハネ福音書1章1-3節

「初めにことばがあった…」

      

先日、一歳を迎える孫の動画が送られてきました。「ムグムグ、ぶあァ~」と意味不明の言葉を一生懸命発している姿を見ながら、思わず微笑んでしまいました。子どもは1歳近くになりますと、盛んに自分の足で立って歩もうとし、言葉らしきものを話すようになります。

言葉は、口から発する手段ばかりでなく、手話や筆記を用いてでも、相手に伝えることができます。

 文化の歴史は、言語によって広められ構築されてきました。言葉はコミュニケーションを育て、意思伝達の役割を担っています。

 

1.初めに、ことばがあった

上記の言葉から連想されるのは、創世記の1章1節の「初めに、神は天と地を創造された」の書き出しです。

ヨハネは、“ことば”の存在が永遠の昔からあることを述べ、創世記の記者は神が“言われた(仰せ)”ことばによってあらゆるものが創造されたことを記しています。“ことば”は天地創造前から存在されておられました。

ヨハネは他の福音書の書き出しとは異なるスタイルで、この福音書を読む人々に対して、神の御子である主イエスを紹介しています。

主イエスの生涯を思う時、人としての出発に重きが置かれてしまいますが、神の意志を伝え、神の思いを理解させる永遠の存在である“ことば”=主イエスが描かれています。

 

2.ことばは神と共にあり

  ヨハネは主イエス・キリストの神性をここで明確に述べています。皆様は、聖書には出ていませんが「三位一体」ということばをご存知でしょう。それは「神はその本質的存在においてただ一つであるが、この唯一の存在の中に、父と子と聖霊なる三位格が存在する」という教理です(「聖書辞典」)。

 創造の時も、“ことば”は神と共にあって創造の働きに関与されていました。また主イエス自身のバプテスマに際しては、バプテスマを受ける御子に対して、天から「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という御父の声があり、そして鳩のような形をして主イエスに上に下られる聖霊として、三位格それぞれの存在が明らかにされています。

 

 3.ことばは神であった

先に述べましたが、ヨハネはその福音書で「…これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。」と述べているように、多くの人々がイエスが神の子キリストである事を信じることにこの福音書の目的がありました。

生きる目的を持った存在には何らかの伝達機能や方法が備えられていると思います。特に、神に似せて作られた人間にとって“ことば”は欠かせないものです。

 鋭くきついことばに人は傷つけられ、優しく思いやる言葉に癒されます。言葉はその人格や品性を表わします。

■ 豪雨による被害が各地で

九州や本州においても甚大な被害をもたらした今回の豪雨の原因となったものが、 「線状降雨帯」と呼ばれるものです。これは、「積乱雲が20~50kmの幅で長く連なり、およそ100km以上の長さに伸びた結果、降雨域が線状に細長く伸びて見えるもの」を指しています。発生する発達した雨雲(積乱雲)が列をなし、数時間にわたってほぼ同じ通過または停滞することで、集中豪雨となります。

「空振りを恐れずに事前に避難しておくことが最も重要。」と専門家は警鐘を鳴らしています。

 

■  コロナ感染が心配です

東京では連日感染者数が増加傾向にあり、隣接県でも感染者の発生が報道されています。

今後も気を緩めることなく、感染対策をしっかりとりながら礼拝の維持に努めて行きたいと思います。お祈りください。

 

■ A姉、退院!(^^)!

  A姉が3週間の入院手術を終え退院されました。皆様の祈りに感謝いたします。

 

■ 誕生祝会の写真が掲示板に掲載

  7月生まれの方々の誕生会の写真を掲示板に掲載してあります。ご覧ください。

 

■ 教会の聖書を新しく、「新改訳2017」に少しずつですが入れ替えて行く予定です。

 

<7月の行事予定> 

12日(日)   事務会

19日(日)  手紙の日