2024年3月23日(土)をもって35年間続けた市原市三和コミュニティセンターでのスペイン語クラスを終了することにした。

 

 思えばこのクラス、最初は同センターの主催事業として1988年頃開講。半年間の同事業終了後も受講生の皆様の熱いご声援に応えてサークル「アミーゴス三和」として発足、継続してきた。

 

 一時は生徒数が減って閉鎖も覚悟したが、新たな生徒さん入会で復活。第2の出発となった。その生徒さんの顔ぶれが多少代替わりしながらも、何と現在まで継続!

 

 私も実力不足ながら、生徒さんの勉強熱心、何よりそれぞれのお人柄の良さに支えられて、毎週土曜日午前中の2時間が楽しくて、楽しくて仕方がなかった。

 

   (ハローウイン時、鬼役はカワサキさん。後ろのポスターも彼作)

 

 いつの間にか授業内容にルーティンもできて、毎月第1週目は購読。受講生はみなさん40代以降の方々ばかりなので、初等入門者向けの易しい童話的なものはほとんどやらず、いきなり文学書。G.G.Márquez の“La increíble y triste historia de la cándida Eréndira y de su abuela desalmada”, J.Cortázar の“Axólotl”, J.L.Borgesの ”Evaristo Carriego”, J.Jiménez の”Platero y yo”, J.Muñoz Martínの”Fray Perico y su Borrico”,   そして最後にはJosé María Sánchez Silva の“Marcelino, Pan y Vino”

 

  

  (G.G.Márquez エレンディラ)      (岸本静江訳「エバリスト・カリエゴ」)

 

    今考えると、なんという思いやりのない過重な負担を生徒さんたちに課してしまったんだろう。

 

  何しろ毎年4月受講開始、全員が同時に基礎から(アルファベットの読み方、書き方、発音、初歩文法)のスタート、というわけにはいかない。学生時代少しはスペイン語をかじった、あるいはどこか別のカルチャーセンターで勉強した、あるいはラジオ・テレビのスペイン語講座をやってみた、という方もおられる。

 

  その一方まるきりスペイン語なるものにこれまで接したことのない、辞書の引き方はおろかスペイン語のアルファベットすらご存じない方もいる。

 

  だからと言ってもう何年もクラスに馴染んでいる方々に、「はい、新入生に合わせてアルファベットから」というわけにはいかない。

 

  新入生より上級生の方が数が多いのだ。だから新入生にはクラスに入会したその日から現在進行中の授業に合わせて頂くしかない。

 

 それでも生徒さんは本当にえらい。「僕が入った時はEréndira。何が何やらさっぱりわからなかった。それでも必死でした」「僕の時はCarriego。でもお陰でまったく知らなかった19世紀のブエノスアイレスの雰囲気を知ることができました」など最後の日の思い出話にこう述懐するツワモノ達。

 

  本当にすみませんでした。私自身が理解するのに必死なテキストばっかり押し付けたりして。

 

  第2週は文法。最初は佐藤玖美子著「楽しいスペイン語」(Somos amigos)。これには本当にお世話になった。各ページ毎に5~8行程度の会話体例文があり、暗記にはもってこい。内容も楽しいし、実用的。しかも下段には短い解説。名著だ。これが後年絶版になってしまったのは、どうしてかしらん。

 

  

 

  で次に使ったのは桜庭雅子著「しっかり身につくスペイン語」。これは文法の説明は少ない反面沢山の練習問題と、ヒアリング問題。ヒデオさんが速度調整機能付きの再生装置を持参して下さったので、CDのネイティブスピーカーのスピードを調節、何度も聞くことで聞き取り力アップ。

 

  第3週は作文。「産業革命」をもじった「3行書くべぇ」。私はナギサさん作「Soy mujer, Soy madre, Soy abuela」(私は女、私は母親、私は祖母)という3行を名文として推奨したのだが、生徒さんはそんな短文では物足りないとばかり、一人で黒板一杯に書く人、それでも足らず次回に続きを書く人… 内容もご自分の経験談、人生観、家族、旅行、日常生活、趣味等々様々。とにかく皆さん意欲的だった。

 

  第4週はアニメを使っての聞き取り練習。宮崎駿のアニメ作品のスペイン語吹き替え版。「となりのトトロ」「千と千尋の神隠し」「魔女の宅急便」「耳をすませば」「ホーホケキョとなりの山田君」、そして往年のスペイン名作映画「汚れなきいたずら」(“Marcelino, Pan y Vino”)。これは第1週の購読とも並行して学習。

 

          

 

  原作の日本語版と吹き替えスペイン語版との違い。「へぇー、『ただいま~』ってスペイン語じゃぁそう言うのかぁ」「ここは日本語版ではセリフ無いけど、スペイン語版では説明してるね」「日本独特の風俗習慣だからね」など楽しみながらの日常会話の練習。

 

  ルーティン授業以外に忘れてならないのは、時折訪れてくれるスペイン語圏の人々との交流。なんと多くの人々が来てくれたことだろう。メキシコ人、コロンビア人、ペルー人、スペイン人、エクアドル人、アルゼンチン人、フィリピン人、そしてペルー人と結婚しているロシア人まで!

 

  中でもメキシコ人のミゲル君一家とはもう15年の付き合い。まだプエブラ州ラス・アメリカス大学生だった彼、たまたま同大学「日本語」コースを選択したのが運命だった。「ちょっと実際の日本を覗いてみようか」など軽い気持ちで来日。市原市五井のF家にホームステイ、近くの公民館で外国人向け「日本語講習コース」に出席。その講師をしていたOさんが私達のアミーゴ教室へ連れてきてくれたのがその後の長い交際の始まりだった。

 

  以来彼の世話を一手に引き受けてくれたのが、レイコさん。その日から夫のイサムさんと共に彼の滞在中の衣食住一切の面倒を見たばかりではない。翌年日本の大学で本格的に日本語を学びたい、との彼の希望を叶えるべく奔走。同志社大学にそのコースあり、と知ると京都まで同行、願書提出から入学手続き、同大の学生寮入寮の世話までした。

 

  それがきっかけで以後彼の兄のセルヒオ、妹のブレンダ、母親のロリータさんやその母親(おばあちゃん)まで何度も来日。そのつど空港への送迎、自宅へ宿泊させ、旅先への同行… まるで肉親待遇。

  ミゲルの滞日ビザ期限切れの時は更新に夫婦で韓国まで同行した位だ。

 

    

     (ミゲル、ママ、おばあちゃんと我々。市原市安須の里公園)

 

           

           (御宿 「友好の抱擁」像を囲んで)

 

  ミゲル一家もその恩義に感激。夫妻をメキシコに招待。叔父さんの結婚式に家族待遇で招待したり、別荘で歓迎パーティを開いたり、各地を案内したり。

 

 そのミゲルも今や34歳。日本人女性Yukiちゃんと結婚、一女をもうけた。現在は故郷の大学で日本語を教える傍ら、日本で働くYukiちゃん母子の住む神戸とプエブラを往還している。

そうそう、孫の顔を見にロリータさん、今夏も来日する由。

 

 ミゲル一家ばかりではなく別の一族との交流も盛んだった。

 

 カツアキさんヨシエさん夫妻。カツアキさんの父上のごきょうだいが戦前移民としてメキシコ北部のチワワに入植、日系一族として大繁栄。そのご親戚が来日する度にクラスに顔を出してくれた。マルガリータさん、フワニータさん、サントス氏、マルタさん、アラキシちゃん、ロレーナさん、オスカルさん、オスカリン君…

 

 ペルー人のアイデエさんも、市原市在住時は何度も顔を出してくれたし、アルゼンチン人のカルメンさんも私の欠講の際はピンチヒッターとして授業に出てくれたり…

 

  ああ、考えると40年近くもこのクラスで授業が継続できたのも、すべて生徒の皆さんやこうした応援団の支えのお陰だ。

 

  いくら感謝しても感謝しきれない。

 

  しかし何事も終わりはある。終わりは来る。

 

 でも「終わり」は「これでお終い」にはしたくない。

 

 で、最後の授業は「卒業式」とした。「卒業」と言うことは「別れてお終い」ではない。今までの「学校」から次の「学校」へ進学すること。新たな「人生の学校へ進むこと」。

 

      

           「卒業式」 

 

 だから生徒のみなさんも、先生だった私もこれから「新たな学校」に入学だ。

 さぁ、新たな道へ。

      ¡Vamos!    ¡Vamos adelante!