東海道57次 9日目

吉原宿→間宿・本市場→蒲原宿

驚きの左脚激痛から2日目。

ひざでは無くて、いわゆる裏側の大腿筋、ハムストリングとか言われている辺りから、ふくらはぎの筋肉の付け根に痛みかある感じ🥹。

まぁ、それが判ったところで、じゃぁ止める?歩く?その2つの選択肢しかない😤

私は、この旅に沢山の思いを詰め込んでいる。

止める理由を考えるのは簡単だ!

しかし、そうじゃないんだ😡!歩きながら治していくにはどうしたらいいか?🧐

幸い、段差以外の平坦な歩きは、7割程度の力が出せる!それを信じて、徹底的に段差には時間かけ注意して、これ以上の痛みは回避しよう!

歩けなくなるまで歩こう!


吉原駅に降りて歩き始めると、いわゆるゼロ富士登山の道標が地面に貼ってあり、少しエキサイトする!

自宅で富士山を計画した際、ゼロから登る富士山のコースを意識した。ただ、それは意識しただけで、2年前に5合目から小屋泊まりでの富士山登山ですら台風と重なり、単なる東京観光になり富士山は遠い憧れの存在のままなんだなぁ😭


日本橋から34番目「依田橋一里塚」跡。

そこから、トイレ探してコンビニへ走り、戻った場所が「左富士」景勝地。まだ雲に覆われて、見えなかったのが残念だが😢


しばらくで、「平家越し」と呼ばれる、富士川を挟んで源氏と平家が富士川を挟んで対峙した地。???富士川??って、ここから3〜4km先だぜ🧐

後、常盤家住宅で説明してくれたガイドの方が、「かつて源氏と平家が対峙した頃の富士川は、川幅が4km程あったんです。」と言われ納得した。

吉原宿は、高波の影響で位置を変えている。


間宿 本市場を過ぎ、そろそろ昼食出来る店?と、探しながら歩く。なんせ歩いているのは旧街道なので、下手するとコンビニでさえでくわさない区間もあったりする。車ならそんな感覚すら判らないだろうなぁ〜😫

日本橋から35番目「本市場一里塚」跡。


いよいよ富士川を超す。今は、橋をてくてく歩けば越えられるから簡単だが、街道歩きを始めて、川にまつわる沢山の状況に思いを馳せる事が出来た。当たり前だと言うものや事は、何一つない!って事だ!歴史の中で「川を渡る」は、沢山の事を生じさせる。

特に、富士川水運は、甲府盆地の富士川町から釜無川と笛吹川の合理地から始まる富士川により、米↔︎塩が物流していたそうだ。驚き‼️


常盤家住宅。丁寧な説明をして頂きありがとうございました!

庭のイヌマキの木は凄い貫禄、それ越しに富士山まで見える!


両塚現存する「岩渕一里塚」日本橋から37番目は、マァ〜立派☺️


いよいよ、本日のゴール蒲原宿だ!

宿場入り口付近の様子が描かれた、広重の「雪の夜」蒲原は、特に傑作と言われている。

日本橋から38番目「蒲原一里塚」跡。


今日は、少し短めの歩きだが、富士駅に戻り「田子の浦」に行って見る計画。

午前中、雲隠れしていた富士山🗻。田子の浦から、その姿を現してくれた。とても良い記念になった。


GPS計測 15.9km  累計標高差+129m -124m

万歩計 22.3km  33,269歩