豊後街道④「宮地駅〜坂梨宿〜滝室坂〜道の駅波野」


前回、5月20日の記録。

 

5ヶ月ぶりの豊後街道だ!

まぁ〜、今月末から行く「日光街道・奥州街道」の為の慣らし的なものなんだが、全然慣れて無いのが実情である(><)。


自宅を4時にでたのは、バス🚌利用で宮地駅まで行く?戻る?必要がある為で、笹倉8:40発の大分バスに乗らないといけなかった。

しかし、高千穂経由、高森を抜けての道の駅波野は、7時20分には到着で少し持て余す状況。


バスは、10分遅れで着き、次の宮地駅までの一区間480円だ!

宮地駅でトイレを済ませて歩き始める。

快晴の、抜ける様な青空だが、日陰は涼しく快適な季節になった。

しばらく国道57号線を歩くと、坂梨宿へ右。

宿場風情が残り、気分が高揚する。

八代の石工卯助が造った天神橋(めがね橋)を渡り、木喰上人の掘った子安観音像(微笑仏)を見る。

木喰上人は、地元西都市の日向国分寺跡の「木喰五智館」にも五座像が安置されている。


勝海舟が坂本龍馬と宿泊。

伊能忠敬が宿泊。

吉田松陰らに多大な影響を与えた高山彦九郎が宿泊との石碑かあった。

熊本札の辻から3番目の宿場。

おそらく石垣は当時のままだろうと勝手な推測で眺め、横に回り込むと、土蔵の倉との間にドデンと阿蘇高岳が見えていた。


「十三里木跡」の石碑があった。

さて、ここから「滝室坂」が始まるのだが、参勤交代に利用した豊後街道の中で最大難所となっていた。

しばし、石畳の残る道を歩いてみたが、入口付近に大岩がゴロンと転がっていた。

石畳を辿ると、東屋とトイレがあった。

立派な案内板もあったが、ママを残し石畳をたどってみたが、今は無い滝室坂の石橋の標識辺りで薮になっていた。

どうも薮や崖に出くわすと、ムラムラしてしまうが、ママを残置してるしそれなりの装備でも無い事を言い訳に気を落ち着かせて東屋に戻った。

靴とズボンはびしょびしょ・・


すごすごと車道を歩くが、歩道は無くクネクネの坂道は、怖くて仕方ない。

ドライバーも、こんな所を歩いているヤツらは危なくて仕方ないだろうと、立ち止まり立ち止まり坂道を登って峠に辿り着いた。

腹はカンカンに減り😩、峠食堂に飛び込み、私はカツカレー、ママはチャーハン定食で超満腹🫃🫄。


峠食堂から、道の駅波野までは3.5km。

テクテク歩くと、13:10に到着。



GPS計測 12.2km  累計標高差+569m -384m
万歩計 13.8km  20,958歩

帰路、萩岳展望所に寄る。

未踏だと思い立ち寄ってみたが、「はぎだけ」でなく「おぎだけ」と読む事が判り、2015年に来ていた。

しかし、歳とると徳だわ!

初めて来た感動🥹て眺めれた!

展望所からは、祖母傾、阿蘇、久住がグルリ一望だ!スゲェです🤭



豊後街道⑤へ続く