梅雨の真っ只中、つまり雨の連休だ!

日光街道の歩き旅で、計画通り歩けなかった。

風邪や計画に問題もあった。

次回10〜11月にかけての遠征に向け、すでに骨子と予約が出来た!

主軸は「街道歩き旅」であるが、前半5日間で日光街道の「宇都宮宿〜日光東照宮」、奥州街道の「宇都宮宿〜喜連川宿、芦野宿〜白河宿」を楽しみ、後半5日を長男夫婦を交え、長男の車🚗で庄内に行く計画だ!

段取り完了で、少し気持ちに余裕も出来たので、連休どっか行くかぁ〜!😉


臼杵に行く事にした。

宿は佐伯市になったが、二食付きでツイン10,060円は破格だわ😛


延岡南IC↔︎佐伯ICの無料区間を利用するのは、何時もの事!

佐伯からは一般道なのも当然な走りで、臼杵城前に昼前に到着し、まずは「臼杵市観光交流プラザ」に入って情報収集+トイレ🚽。

キリシタン大名の大友宗麟にちなんで?臼杵カトリック教会に行ってみる。

腹も空いたので、八町大路を歩き中華屋さんでランチを食べる。


カニ醤油の建物は良かったナァ。

可児市には、中山道歩き旅の時泊まった。


昼食後、福良天満宮に登って街を眺める。


浄土宗「龍原寺」三重塔には、四隅に邪鬼達がいた。奈良の唐招提寺にいた隅鬼よろしく、なんとも無邪気な鬼達だ!


鬼つながり?近くの大橋寺には、鬼瓦が並べてあった!


「二王座歴史の道」を歩く。

これは、たまらない雰囲気があった。

なんか「時が止まる」と言う言葉を思い出して歩いていた。

何度も来ている臼杵だが、車で通過したり、臼杵城に来たぐらいで、町ブラをしてようやく解った雰囲気だ!


稲葉家下屋敷、郡上八幡からここ臼杵藩主になり270年もの間統治した稲葉家の下屋敷を見学🤨


夫婦で来た証拠の写真。


なんせ、今回の連休は、ガッツリ雨予報☔️

しかも、九州のあちこちで線状降水帯が懸念されている中、なんとか大分方面が、雨雲レーダーに降水が少なそうな感じなので来た。


耳川の戦い(みみかわのたたかい)と言う戦いがある。1578年に大友宗麟と島津義久の戦いなのだが、日向国高城川原(宮崎県木城町)が主戦場とした合戦で、?耳川?小丸川なのに・・と疑問なままで、調べると敗退した大友軍を島津軍が追撃した地らしい。「高城川の戦い」、「高城川原の戦い」とも言われている。


も、気にしている大友宗麟にちなんでの選択。




大友宗麟、宗麟(そうりん)は禅宗法名で、大友義鎮(おおとも よししげ)。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名でキリシタン大名として有名で、貿易にたけていた。

さらに、臼杵・宗麟に興味を増したのは、

この記事で、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの著作『日本史』に、臼杵のことを「豊後のローマ」と記されているとのこと。

臼杵城(丹生島城)が、満潮には海に浮かぶ城🏯だったことを感じたいと思っていた。

日本初、宗麟がポルトガル副王から送られた「仏狼機砲」(ふらんきほう)。「国崩」と名付け量産して城に備えていた。


臼杵城から,今日歩いた町がグルリ見えていた。


さぁ、今日は宿に行って晩飯だ!と意気込んでみたが、ツインの部屋にチェックインすると、しばらく眠り込んでしまった!なんか、最近、眠くて仕方ないナァ😫