一三夫ちゃんは、私の親父。
昭和7年生まれ・・・。
昭和7年生まれ・・・。
私が大学を卒業し、大阪に就職した年の7月7日死んだ。
昭和58年、一三夫ちゃんが51歳の時の事・・・。
その前夜、お袋と二人で飲みに出かけた。
朝、いびきをかいたまま寝ていた。
脳血栓。
お袋が気付いた時には、意識がなかった・・・はず。
いびきはしていた。
大阪の私は、その日休みで、借りていた文化住宅の大家さんが訪ねてきて、その訃報を聞いた。
冷や汗が出た。
暑いのに、冷や汗をかきながら、宮崎行の飛行機に飛び乗った。
自宅近くの病院のベットに横たわる一三夫ちゃんは、ただ息をしているだけだった。
体温が40度を超え、あちこち冷却されていた。
次第に、呼吸が弱くなり、痰がからんだ息だけが辛く聞こえていた。
お袋の実家の親戚たちが、入れ替わりやって来ては様子を見て帰った。
あまりにもしらじらしく見えた。
親父は、何を感じ、どう生きたのか?私には判らない。
大好きな親父の枕元で、言葉を聞きたかった。
そして、私を息子に選んでくれた感謝を伝えたかった。
今、59歳の私は、一三夫ちゃんの無念と、楽しかった日々とが判るようになってきた。
一三夫ちゃんに、結婚式に出て欲しかった。
一三夫ちゃんに、4人の子供の成長を見せたかった。
一三夫ちゃんに、孫を抱かせたかった。
沢山景色を一緒に見たかった。
もっと釣りをしたかった。
一三夫ちゃんに、結婚式に出て欲しかった。
一三夫ちゃんに、4人の子供の成長を見せたかった。
一三夫ちゃんに、孫を抱かせたかった。
沢山景色を一緒に見たかった。
もっと釣りをしたかった。
51歳で他界し、35年が過ぎた。
一三夫ちゃんと共に生きた23年より、長い時が過ぎた。
一三夫ちゃんの写真は、すでに私より若い!
一三夫ちゃんと共に生きた23年より、長い時が過ぎた。
一三夫ちゃんの写真は、すでに私より若い!
報告したい事は山の様にあるけど、いつも一緒に見ているよね!
もうすぐ、孫も生まれるよ!!
もうすぐ、孫も生まれるよ!!
何度でも言う「一三夫ちゃんの子供に生まれて感謝している。」
