3月22日(水)


山行座数合計・・・966座(回)

ここ数日、たくさんの事があった。
叔父の喜寿祝を昼、知り合いのおばちゃんの通夜~葬儀。
複雑に、感情を揺さぶられた時間。
~故人の在りし日のお姿を偲び・・・~と、通夜式でのアナウンス。
在りし日を・・・というのは、人が亡くなってからというだけのものでもあるまい。
歳を重ね喜寿を迎える心中にも、おそらくは思い出を回想するものでもあるだろう・・・。
自分で出来ていた自分の在りし日の姿、思い起こせばどうなんだろう。
亡くなれば、生きる者のみの胸中に在るのか?
やはり、出来る間に出来ることを楽しみ、自分とってどうなのか?を感じつつ生きるのが「豊か」な気がする。
私は、誰かに勝ち誇るために山を歩いているのでは無く、ひょっとして歩けなくなるであろうこれから先に不安を抱き、今在る自分を感じる為に歩いている。
いまや相当の事がボヤけている。
でも、ぼんやりした中にも輝くモノも見える。
自分に偽らずに歩けるには、もう少し時間が必要だが、見失う事のない足元だけは見ていたいもんだ!!

ママは、この連休で大阪に里帰りしていた。
この歳になり、子供が4人いるのに、鹿児島・福岡・茨城・大阪と、離れている。
さびしくてたまらないのが本音だが、そう意味では遠くまで連れだしたママも同じ事だ。
そばに暮らせない我が子の事を思うと、大阪の実家に対し申し訳ない気でいる。
沢山の事に、なにか整理をつけて納得しなくてはならない。
「見守る。」とか、「寄り添う。」とか、そんな静かな事でいいのだろうか?
悩みながら、心配しながら、楽しみながら、豊かな気持ちで「在りし日」の今を歩けばいいかぁっ!!

また、前回に続き「水俣市」へやってきた。
多少、バタバタとした日も続いたが、ママも大阪から戻ったばかりだが、山頂を探しにやって来た。

イメージ 1

「城山」、漁民の森の広場から林道止め、藪に入り少しで平らな山頂に着く!
ふっと戻った気がした。
「我に帰る」というが、その「我」は、何者ぞ?
我に帰れる場所があるならば、それは「家族6人で歩いた日」なんだろうが、果たして戻れる日が来るのかなぁ~。


「国見山」へと林道を走る。
もう少しという所で、倒木が林道を塞ぎ、やむなく引き返す。
ナビに従うと、もう一本の林道を案内していた。
それがそれが、次第に荒れる林道・・・ついに廃道状態。
落石や倒木を避けながら進むも、いよいよ断念せざるを得ない状況。
やっとの思いで切り返し、そこから後は、足を使う。

イメージ 2

この辺だろう・・・斜面をよじ登ると、尾根道。
目印もあれば、踏み跡もしっかりしている。
ピークへは岩斜面を回り込むかたちで立つ「標高点」。

そこからは尾根続きに「大関山」方面へと進むと、廃道林道へ飛び出す。
そのままたどっても電波塔のある山頂だが、途中から斜面に入ると、巨木の苔むした倒木の群れ?
いいものを見たなぁ~と、思いつつ神社裏のトイレに着く。
「2等三角点」を有する大関山は、電波塔の柵横にひっそりと・・・。
車でも来れる大関山だが、国見山からの縦走を楽しめた。

イメージ 3

少し早いが、ここまでで帰路へとすることにした。
晩御飯を自宅で食べたかったからだ!!

自宅6:15----小林・朝食----えびの----伊佐市----漁民の森広場10:26----城山10:42----移動---倒木通行止め11:21----廃道駐車位置・昼食----出発12:47----国見山13:24----大重山14:00----駐車位置14:36----えびの道の駅----小林----自宅19:00