1月18日(水)
山行座数合計・・・943座(回)
雨の予報だけど、やっぱ行くかなぁ~。
気持ちが滅入ると、日々の楽しさが薄くなる。
やはり、落ち込んで暮らすより、「幸せ」や「楽しさ」や「豊かさ」を感じようと動く方がいいに決まっている。
5時半起きで出かける。
そんな気持ちだと、曇っている空だが、ひょっとして今から晴れてくるんじゃないかと言う気になる。
最近、これからどう生きていくのか?妙に、方向や方法を決めようと考えてばかりいる。
どうなる事など判らない先の事だと、ふっと気づくと、生きてる今を精一杯!と思える。
だから、今日も出かけて、目指したい方に少しでも歩いていこうと思うなぁ~・・・やっぱり。
やっぱり「人は、過去も未来も生きるのでなく、今を生きている。」んだよなぁ~。
最近、これからどう生きていくのか?妙に、方向や方法を決めようと考えてばかりいる。
どうなる事など判らない先の事だと、ふっと気づくと、生きてる今を精一杯!と思える。
だから、今日も出かけて、目指したい方に少しでも歩いていこうと思うなぁ~・・・やっぱり。
やっぱり「人は、過去も未来も生きるのでなく、今を生きている。」んだよなぁ~。
登った1座は、過去の経験値として積み上がるが、これから目指す1座は常に未来。
過去は思い出であるが、そこに戻る事は出来ず、未来は今掴む事は出来ない。
常に今を生きるにどうするかの連続が過去になり、未来を得ている。
瞬間瞬間が、とてもかけがえのないものであるに違いない。
拓郎が歌っていた
「この貴重なひとときを僕たちは、
何かをしないでは生きられない。
この貴重なひとときを僕たちは、
青春と呼んでもいいだろう。」
ふと、頭の中に流れている事がある。
「どうしてだろう このむなしさは
誰かに逢えばしずまるかい
こうして空を見あげていると
生きてることさえむなしいよ」
「この貴重なひとときを僕たちは、
何かをしないでは生きられない。
この貴重なひとときを僕たちは、
青春と呼んでもいいだろう。」
ふと、頭の中に流れている事がある。
「どうしてだろう このむなしさは
誰かに逢えばしずまるかい
こうして空を見あげていると
生きてることさえむなしいよ」
僕らが、何かを追いかけようとした頃、拓郎の「むなしさ」という表現に魅かれた。
「むなしい」とは、 「空虚」だとか、「内容が無い」だとか、「充実していない」「無利益である」「根拠が無い」だとかあるが、「 はかない」という意味もある。
「はかない」は美しいと思っている。
はかないがゆえに「愛おしい」と思えるのだろうなぁ~。
「今」は、儚く愛おしいもんだ。
だから、今、行きたい山に、その自然に抱かれてみるんだ。
雨なら雨なりに、その自然のままに従う事がいい。
雨なら雨なりに、その自然のままに従う事がいい。

出水市「矢筈岳」は、一等三角点の山。
九州百名山に名を連ねるに値する、壮大なパノラマが待っていた。
少し、てくてく歩いて、簡単に山頂に立てるが満足は大きい。
気持ちがすぅ~っとして来るのは、不変の自然の中だからかな??
九州百名山に名を連ねるに値する、壮大なパノラマが待っていた。
少し、てくてく歩いて、簡単に山頂に立てるが満足は大きい。
気持ちがすぅ~っとして来るのは、不変の自然の中だからかな??
続き、長島に渡り潮流を眺めながら昼食。

「矢岳」「行人岳」のピークを踏み、3座とする。
帰路、ツルの飛来地へ寄ってみた。
田んぼに、沢山のナベヅル・マナヅルがいた。
悲しいかな、渡りの習性の鳥は、「鳥インフルエンザ」に警戒されていた。
田んぼに、沢山のナベヅル・マナヅルがいた。
悲しいかな、渡りの習性の鳥は、「鳥インフルエンザ」に警戒されていた。

何もかも「自然」とするも、人は人の「正義」を持って、それを正常化させようとしてしまう。
そんな中で生きる私も、同様の事だ。
そんな事をふと思いながら、ツルの声を聞いていると、「悲哀」に満ちた声に聞こえる。
と、私に降って来たのは、泉谷の声
「むなしいむなしいとつぶやいても
また明日もむなしいだけ
空に
浮かんでいる白い雲も
いまではなにもこたえてくれない」
あぁ~、また明日から気合い一杯働く日々を迎えることとしよう!!
7:21自宅発----小林・朝食----伊佐市----出水市----登山口11:20----矢筈岳12:00----休憩----下山12:20----駐車位置12:55----移動----長島うずしおパーク14:08昼食----矢岳15:26----行人岳16:00----出水ツル飛来地17:00----伊佐市----小林・夕食----自宅20:00