50歳を過ぎて、ずっと胸中にある句だ。

初めて、この句に出会った時、
特攻隊
西郷軍
そんな情景を想像もしたが、
決して辛いばかりの言葉ではなく、
「ならば・・・どうする?」
と、
問いかけている様に思えてきた。


今日、西都市三財の横断歩道に、
杖を突いた老女と、ゲーム機に興じる小学生2人がいた。
ゲーム機をしている小学生に、時折話しかけるおばあちゃん・・・。
ゲーム機から目を話す事無く答える小学生・・・。
そこからだ!
私の脳天に直撃が走ったのは・・・。
信号が青になると、その小学生は、おばあちゃんを守る様に、
同じ速度で、触れさえしなかったが寄り添うように、
そして、周囲の車両が気付く様に、大きく手を振り上げながら渡った。
杖を突きながら渡り終えた老女と、再びゲーム機にかじりつく小学生、
左右に分かれて行ったが、
自己の思考の、なんという硬さよ!と、つくづく思った。


お年寄りをいたわるという事を、さらりとやってのける小学生。
理屈ばかりをこねるおっさん・・・。
その時、またあの句がよぎっていた。
散る桜 残る桜も 散る桜
私は、散りたくないと枝で枯れ腐って行く桜になってしまうぞ!